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「ヒッチコックはロマンチスト?」

・・・Hitchcock and Romanticism ・・・

●「サイコ」と「鳥」
 ヒッチコック、言わずと知れたサスペンスの神様。映画ファンならずとも耳に親しい名前だと思います。そのヒッチコックの代表作は?、と聞けば、「サイコ(1960)や「鳥」(1963)の名前を挙げる人が多いのではないでしょうか。これらの映画から、サスペンスというよりは、ホラー、オカルト、カルトといったイメージを持つ人も多いはずです。もっとも、テレビでヒットシリーズとなった「ヒッチコック劇場」の影響も多分にあると思われますが。
 ところが、前掲の二作品、実はヒッチコックの作品の中ではもっとも特異な作品ではないかと思うのです。「サイコ」は、文字通り「サイコ・ホラー」の先駈けとなったホラー作品です。多重人格者の男が引き起こす殺人事件、その恐怖を見事に描ききった作品です。多くの制約の中での製作がかえって効を奏したようで、多くのアイディアを生み出しています。中でも、シャワーを浴びている美女をカーテン越しにナイフが襲う、"ひと"そのものが襲う映像を写さず、残虐な殺人のイメージをナイフに象徴させたシーンは映画史上最も有名なシーンとなりました。
 一方、「鳥」は、突然鳥の群れが人間を襲うというパニック映画です。同時に、その原因を明らかにすることなく、また解決させることすらしない、すなわち不条理物でもありました。不条理モノを第一級の娯楽作品にする腕は見事の一言。何より、実は、これらのように純粋に恐怖を描こうとした作品は少ないのです。
 そして、「サイコ」や「鳥」、「ヒッチコック劇場」が有名になったせいかどうなのか、ヒッチコックはマニアックだというイメージを持つ人も多いはずです。さらに悪いことに、ホラーやサスペンス映画の秀作が出ると、すぐに"ポストヒッチコック"などと騒がれることも一因ではないでしょうか。かつて、デパルマなどはその代表格でした。そして、それらの作品は、決まってマニアックなつくりをしていたのです。だから、ヒッチコックをサスペンスやスリラー映画の範疇に含めるにはどうしても違和感が残ります。
●ヒッチコックのロマンチシズム
 しかし、筆者は強調したいのですが、ヒッチコックはあくまでも“ポピュラー”なのです。上記二作品を除けば、ヒッチコックは、ほとんどの作品でラブストーリーをベースに敷いて、これに沿って物語を展開させています。アメリカで撮る以前、イギリスのごくごく初期の作品がラブストーリーだったことはファンには有名な話。イギリス時代の後半には、すでにラブストーリーを背景に置く手法を確立しています。
 「三十九夜」、「間諜最後の日」、「バルカン超特急」、イギリス時代の代表作三本はすべて軽いロマンスを絡ませていて、これが幅広いファンに受け入れられた経緯を持ちます。ハリウッドに移ってからも、オスカーをとった「レベッカ」(1940)などは、前半だけを見れば純粋なラブストーリー。その傾向は夫婦愛を描いた「断崖」(1941)でも発揮されます。同じ年に製作された「スミス夫妻」(1941)にいたっては、エルンスト・ルビッチなみのソフィスティケイティッドなラブ・コメディです。
 そればかりではありません。中期の「海外特派員」、「逃走迷路」などもしかり。サイコ・サスペンスの古典的傑作「白い恐怖」も、完全にラブ・ストーリーをベースにしていることが分かります。そしてこの傾向は後半ではよりドラマティックなものとして発展していくのです。
 やや時間は跳びますが、ベッドシーンから始まる「引き裂かれたカーテン」(1966)は、ポール・ニューマンとジュリー・アンドリュースの共演が話題になりました。ジュリー・アンドリュースが東ドイツに亡命する婚約者についていくかどうか迷う姿、何ともいえないいじらしさ。愛と主義のどちらを採るか。その名演もまた注目に値するものと言えます。
 「北北西に進路を取れ」(1959)を挙げないわけにはいけません。サスペンスといえばこれ。無論、「サイコ」よりも、これをヒッチコックの最高傑作とする人も多いでしょう。もしかしたらこちらの方が多いかもしれません。ヒッチコックお得意の"まきこまれ型"のサスペンスです。これもスパイに間違われた主人公が、怪しい美女に振り回されながらも互いに恋に落ち、結ばれていくというお話。恋に冒険に大忙しのストーリーで見る者を終始釘づけにした作品です。この代表作でも、主人公(ケーリー・グラント)と謎の美女(エヴァ・マリー・セイント)との恋の駆け引きが、物語の情緒面を支え、ストーリーに大きな影響を与えています。
 そして「知りすぎていた男」(1956)。戦前につくった「暗殺者の家」を自らリメイクした作品です。これもやはり「まきこまれ型」。モロッコで子供を誘拐された夫婦が、自分たちで子供を助け出そうとする物語です。ラブストーリーというよりは、家族愛をテーマにした作品。案外涙物かもしれません。
 1950年代からの最盛期では、それまで淡白だった情緒的なモチーフをじっくりと描くことも増えました。個人的には、ヒッチコックの恋愛映画はやや冗漫に感じますが、サスペンスと共に描かれるラブストーリーは絶妙のスリル、そして抜群のバランスを物語に与えています。
●殺人は笑いだ
 いずれにせよ、ヒッチコック作品の中では、「愛」の絡んでないお話の方がマイナーなのです。だから思うのです。ヒッチコックは相当なロマンチストだったのではなかろうか、と。あるいは、よほど観客心理の読みに長けていたと言えるでしょう。その意味では極めてしたたかなエンターテイメント作家とも呼べるのです。
 最後に、お気に入りの作品。それはブラック・コメディの快作「ハリーの災難」(1955)です。ヒッチコックは、「殺人は笑いだ」と言っていたそうです。これは映像表現における殺人シーンのあるべき姿でしょう。見る側の道徳的抵抗感を払拭するには唯一の手段だと言えます。それがヒッチコックの独特の非現実的な殺人シーンを生んでいたのかもしれません。一方では、衝撃や恐怖に見る者を追い込んでいく手法は未だ何者も追いついてはいないような気がします。
 この映画はそれを体現するかのような作品。一人の死体をめぐるある村の騒動を、人間味あふれる感性で描いたコメディ・タッチのサスペンスです。ストーリーのおもしろさはもちろんですが、この映画の背景の美しいのなんのって。舞台は秋のバーモント。まるでモネの風景画をそのまま再現したような美しさなのです。もちろん恋のお話も期待を裏切りません。気ままな貧乏画家となりたての未亡人のおかしな恋。えせ船長とオールド・ミスのちょっとヘンなロマンスも描かれます。そんな中でもきちんとスリルが味わえるというのがヒッチコックならではの職人技。目にやさしい、心にやさしい、ちょっと"癒し"の入ったサスペンス。興味の沸いた方はぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。


●監督作品一覧(ごく初期は抜粋)
製作年 タイトル 主 演
1926下宿人マリー・オールト
アーサー・チェズニー
1927「リング」 カール・ブリッソン
リリアン・ホール=デイビス
1928農夫の妻ジェイムソン・トーマス
リリアン・ホール=デイビス
1929恐喝(ゆすり)アニー・オンドラ
サラ・オールグッド
1930「殺人!」 ハーバート・マーシャル
ノラ・ベアリング
1931「スキン・ゲーム」 エドマンド・グウェン
ジル・エズモンド
1931リッチ・アンド・ストレンジヘンリー・ケンドール
ジョーン・バリー
1934「暗殺者の家」 レスリー・バンクス
エドナ・ベスト
1935三十九夜ロバート・ドナート
マデリーン・キャロル
1936間諜最後の日ジョン・ギールグッド
マデリーン・キャロル
1937サボタージュシルビア・シドニー
デズモンド・テスター
1937 第3逃亡者ノヴァ・ピルビーム
デリック・ド・マーニー
1938バルカン超特急マーガレット・ロックウッド
マイケル・レッドグレーブ
1939「岩窟の野獣」 チャールズ・ロートン
モーリン・オハラ
1940「レベッカ」 ローレンス・オリヴィエ
ジョーン・フォンテイン
1940「海外特派員」 ジョエル・マクリー
ラレイン・デイ
1941断崖ケーリー・グラント
ジョーン・フォンテイン
1941スミス夫妻キャロル・ロンバード
ロバート・モンゴメリー
1942逃走迷路ロバート・カミングス
プリシラ・レイン
1943疑惑の影ジョセフ・コットン
テレサ・ライト
1944「救命艇」 タルラー・ハンクヘッド
ウィリアム・ベンディックス
1945白い恐怖イングリッド・バーグマン
グレゴリー・ペック
1946「汚名」 ケーリー・グラント
イングリッド・バーグマン
1948「ロープ」 ジェームズ・スチュアート
ファーリー・グレンジャー
1949「山羊座のもとに」 イングリッド・バーグマン
ジョセフ・コットン
1950「舞台恐怖症」 ジェーン・ワイマン
マレーネ・デートリッヒ
1951見知らぬ乗客ファーリー・グレンジャー
ルース・ローマン
1953「私は告白する」 モンゴメリー・クリフト
アン・バクスター
1954ダイヤルMを廻せ!レイ・ミランド
グレース・ケリー
1954裏窓ジェームズ・スチュワート
グレース・ケリー
1955ハリーの災難ジョン・フォーサイス
シャーリー・マクレーン
1956知りすぎていた男ジェームズ・スチュワート
ドリス・デイ
1956泥棒成金ケーリー・グラント
グレース・ケリー
1957「間違えられた男」 ヘンリー・フォンダ
ヴェラ・マイルズ
1958めまいジェームズ・ステュアート
キム・ノヴァク
1959北北西に進路を取れケーリー・グラント
エヴァ・マリー・セイント
1960「サイコ」 アンソニー・パーキンス
ジャネット・リー
1963ロッド・テイラー
ティッピ・ヘドレン
1964マーニーショーン・コネリー
ティッピ・ヘドレン
1966引き裂かれたカーテンポール・ニューマン
ジュリー・アンドリュース
1969トパーズフレデリック・スタッフォード
ダニー・ロバン
1972フレンジージョン・フィンチ
バリー・フォスター
1976ファミリー・プロットバーバラ・ハリス
ブルース・ダーン


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 「サイコ」(1960)はヒッチコック作品の中でも最も特異。ベイツ・モーテルの恐怖をホオカルト風味たっぷりに描いている。主人公が次々と代わる展開もヒッチコックらしからぬストーリー運び。しかしいまだにサイコ・スリラーの金字塔として君臨し続けている。



 非情な任務を受けたスパイ同士が愛し合ってしまう物語。敵国のスパイを倒さなければならないスリル。が、人違いで善良な観光客を殺してしまう。ヒッチコック特有の道徳的悲劇を垣間見せた作品でもある。



 「愛」と「疑惑」はヒッチコック前半の得意の組み合わせ。「レベッカ」での新妻は夫の前妻殺しを疑い、「断崖」では自分を殺そうとしているのではと疑う。愛するがゆえに苦悩する妻の姿が丁寧に描かれている。



 「レベッカ」などとは逆に、記憶喪失の恋人の無実を疑わない精神科医の姿を描く。盲目的な愛を抱く女性を全盛期のバーグマンが好演。サイコ・サスペンス黎明期の名作。ダリの描いた幻想的な夢の中の背景はいまだ語り草だ。



 晩年のスパイ・スリラーの佳作。婚約者の突然の亡命に苦悩する妻。ジュリー・アンドリュースの可憐さには注目したい。グレース・ケリーの時(「ダイヤルMを廻せ!」、「裏窓」など)は特に顕著だったが、ヒッチコックは女性の美しい描き方にも長けていた。



 スリルとロマンスはハリウッド鉄板のモチーフ。スパイに間違われた主人公が謎の美女に恋をする物語。危険な恋もまた、ヒッチコックお得意のプロット。本作はサスペンス映画の王様と呼ばれる傑作。独特の長い間で緊張感を高める手法はこの頃確立した。



 誘拐も親子愛もヒッチコック作品では珍しいモチーフ。誘拐された我が子を取り戻そうとする父と母の姿は感動もの。適度なユーモアも混じり娯楽色も抜群。ヒッチコック全盛期につくられた名作中の名作。



 一つの死体をめぐる騒動を描いたブラック・コメディ。登場人物たちがそろって変人ばかり。しかも死体のすぐ脇であれよあれよとカップルになっていく様子が何とも言えない微笑ましさ。ほのぼのとした雰囲気はヒッチコック作品随一である。

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