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西鶴一代女

(1952年/日本/137分)

[監督]溝口健二
[原作]井原西鶴 『好色一代女』
[脚本]依田義賢
[撮影]平野好美
[音楽]斉藤一郎
[出演]田中絹代、山根壽子、三船敏郎、宇野重吉、菅井一郎、進藤英太郎、大泉滉、清水将夫、加東大介、小川虎之助、柳永二郎、浜田百合子、市川春代、原駒子、毛利菊枝、沢村貞子

[内容]

 江戸時代、京。お春は御所に仕えていたが、ある日、不義密通がばれ家族共々洛外追放となる。その後、さる大名に見初められ側室に入り子を生んだものの、殿様の健康を害すと暇を出され再び里へ。しかし父はお金ほしさにお春を遊郭に売ってしまう ・・・。古典・井原西鶴の「好色一代女」の映画化。運命に翻弄され、御所つとめから娼婦にまで身を落としてゆく女性の一生を情感豊かに描く。名匠・溝口健二最盛期の一本で、日本映画史上屈指の名作と言われる。当時の事情とはいえ、フィルムの状態が悪いのが残念でならない。
[評価]★★★★★

cinema review

STORY

 奥引丹波介の娘・お春は少女時代に御所に上がり宮仕えをしていた。ある日、御用を言い付かって外出。途中、菊小路家の若党・勝之助と出くわし、主から用があると言われ不意の招きを受ける。しかし宿へ行ってみると勝之助一人。かねてからお春に想いを寄せていた勝之助は言い寄り、お春もその真心に打たれ、ついに関係を結んでしまう。が、二人は身分違いであるだけでなく、許しのない相手と通じることはご法度であった。さらにその時、運悪く宿検めが訪れる。二人は見つかると不義密通の罪に問われ、お春は両親共々洛外追放、勝之助は斬首の刑に処せられてしまう。
 傷心のお春はやがて親のすすめで舞の修行に出るようになる。京で舞を披露していたある時、お春は突然松平三万石の老臣・磯部に見初められる。磯辺はいまだ子ができぬ主君の妾を探しに江戸から出向いていた。主君の条件は細々としたもので、商人の笹屋に協力を求めたが見つからず、偶然出会ったお春が、条件を満たしたただ一人だった。真実の愛を求めるお春は気が進まなかったが父は扶持米がもらえると喜び、無理やり嫁がせる。
 やがてお春は世継を生み、殿様の寵愛を集めてゆく。はじめは嫌々だったお春も母となり落ち着きを見せ始めた頃、殿様の体が徐々に弱り始める。すると、お春がそばにいることが害になると医師に見立てられ、遠ざけられるようになり、ついには暇を出されてしまう。松平家にとって、世継さえ生まれてしまえば、母親はもはや用無しであったのだ。
 再び傷ついて里へと戻ったお春。しかし父は親不孝者と罵り、お春をお金ほしさに島原の郭・丸屋に売ってしまう。が、しばらくすると、お春は持ち前の器量で太夫にまで登りつめていた。そんなある時、越後から大金持ちの客がやってくる。何でも金で買えるとうそぶくこの客にお春は反発。金のために言いなりになるよう命じる店主と対立し、嫌われてしまう。それでも、客がお春を気に入ったおかげで暇を出されずに済んだが、ほどなく客が詐欺師だったことが分り、結局お春は店を追い出されてしまう。
 またも行った先を追い出されたお春。次に笹屋を頼ると、快く奉公人として受け入れてもらえることに。そして笹屋の奥方の世話係となり、穏やかな日々を送っていた。が、ある日、遊女時代の客が偶然笹屋を訪れてきて ・・・。

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COMMENT

 江戸時代の作家、井原西鶴の浮世草子「好色一代女」の映画化。作品は17世紀後半。「一代女」とは、あとに続く子のいない女性のこと。一代限りの身分という意味なのだと思います。筆者は原作を知りませんが、「好色」の文字から受ける愛欲・放蕩・淫らのイメージとは異なり、映画は、周りの思惑に翻弄され続け、思うままにならない生涯を送った女性の悲しい物語。その切なさが終始見る者の心を打ち、日本映画史上屈指の名作となっています。
 また本作は、名匠・溝口健二最盛期の映画でもあり、その繊細さをじっくりと感じ取りながら見たいところです。映画の感動は本に比べて短いと言われますが、ここでの感銘の深さは、名作文学を時了したのと同様、一生心に残るほどの力があると信じます。溝口作品がいかに優れていたかを実感できる作品ではないでしょうか。ただ、当時は、ハリウッド以外の映画界の状況はひどいもので、日本映画も例外ではありませんでした。残念ながら本作も良質の資材には恵まれなかったようで、フィルムの状態が悪いのが残念でなりません。鮮明な映像でじっくりと登場人物たちの表情を堪能したかったものです。
 物語の主人公は御所に仕える美しい少女・お春(田中絹代)。ある時、身分の低い若侍(三船敏郎)に言い寄られ関係を持ちますがこれがばれて洛外追放に。以降、松平家の側室として世継を産むも暇を出され、父(菅井一郎)に遊郭に出されるも客あしらいにしくじり追い出され、その後商家・笹屋(進藤英太郎)に奉公するも奥方の嫉妬によりクビになってしまいます。さらに、ようやく正直者の扇屋弥吉(宇野重吉)に見初められて幸せな生活が始まったのも束の間、強盗に命を奪われ、挙句、娼婦にまで身を落としてゆくのです。
 類希な美しさに恵まれたお春。それゆえに、常に男たちが夢中になる運命を背負います。一方、お春には、自分の信念を貫こうとする姿も見受けられます。大名の側室に上がれる出世話を受けながら、そこにはまごころがないと拒もうとします。また、太夫時代には、金に物言わせようとする客に反抗し、袖にする気高さも持ち合わせています。純粋さ、誇り。しかし心の弱さが常にあだとなり、己を貫き通せず、まわりに流されていくわけです。老娼となったお春にはかつての美しさは見る影もなく、「化け猫」と呼ばれる始末。愛のない男と通じるようになり、誇りを失ったお春は、同時に美しさも失ってしまったのでしょう。
 そんなお春が常に求め続けたのは真実の愛。終盤、その愛は引き裂かれたわが子へも向けられます。娼婦となったことを松平家の侍たちになじられ、じっと耐えるお春の姿がそこにはあります。そして、止められても止められてもわが子に会おうとするひたむきさは涙を誘います。運命に抗いながらも運命に流され、真実の愛を求めながらもついにつかむことのできなかったお春。人の一生をここまで切なく、そして哀しく謳い上げた作品はそうはないように思います。溝口文芸の真骨頂と呼べるでしょうか。
 そしてもうひとつ。本作の格調高さは田中絹代に因る所も大きかったように見受けられます。アイドルスターであった田中絹代はこの時四十台はじめ。その演技はすでに高い評価を受けており、本作でその実力がみごとに発揮されたと言われています。主演・田中絹代にこだわり続けた溝口監督の勝利でもあったでしょう。
 1950年代、世界の映画人が深い感銘を受けた溝口作品。黒澤明に比べると娯楽色は決して高くなく、玄人受けの感は否めないかもしれません。その感動の与え方も瞬発力に優れたものでなく、じわじわと心に染み入るような種類のものです。しかしだからこそ、徐々に見る者の心に入り込み、感動を深めてゆく一因となっているのかもしれません。日本の映画ファンならば、当時の溝口作品には一度は触れておきたいところではないでしょうか。

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