Index |
Information |
|||||||||||||||||
山椒大夫(1954年/日本/124分)
cinema review ![]() STORY
平安朝末期、陸奥。善政を布いていた国司・平正氏(たいらのまさうじ)だったが、重税と使役を強いる鎮守府将軍の命に従わずに民をかばったため、無官となり筑紫へと左遷されてしまう。残された妻・玉木と二人の子、厨子王と安寿は実家に身を寄せることになり、正氏は二人の子に、己を責めても人には情けをかけよ、と言い伝え、家宝の如意輪観音を手渡して任地へと去っていくのであった。
しばらくして、母子は父を追って旅立つ。が、途中、親切を偽った老婆に欺かれ、人買いに捕まってしまう。そして玉木は遊女として佐渡に売られていき、二人の子供は丹後の右大臣家荘園荘司・山椒大夫へ奴婢として売られて行く。山椒大夫は、荘園を柵で囲み、そこに奴婢を閉じ込めて死ぬまで労働させる非情な男だった。そして厨子王と安寿のような子供にも過酷な労働を命じる。しかし、大夫の子・太郎は、そんな父の非道なやり方に嫌気がさしていた。太郎は二人に目をかけ、しばらくは我慢していろと励ます。そしてある日、何かを思い立った太郎は荘園を出奔。そのまま消息を絶ってしまう。 十年後。厨子王は、山椒大夫の命令で、逃げようとした老人の額に焼きごてを当てるほど荒んでいた。しかし安寿は変わらず清らかな心で、兄に父の言葉を思い出すよう諭す。しかし厨子王は奴婢の身分で何ができるとうそぶき、神仏をも信じず、父母との再会もあきらめていた。そんなある日、少女が佐渡から売られて来る。その少女の歌を聞いて安寿ははっとする。「厨子王恋しや つらやの 安寿恋しや つらやの」 それは玉木が兄妹を想った歌だった ・・・。 ・・・ ![]() COMMENT
「安寿と厨子王」の物語を映画化。原作は森鴎外のものを使用しているようで、さらに多少のアレンジが加えられています。画質・音声にノイズが多いことが残念ですが、完璧とも思えるほどの文芸作品に仕上がっており、見事に身分社会の不条理さとエゴイズムの醜さを伝え切っています。おそらく晩年の溝口作品は、世界的に見ても極めて質の高い映画ではないかと思います。
時代背景は平安朝末期。各地で飢饉が続き盗賊人買いが横行していた時代。この冒頭では、人がまだ人としての目覚めを持たない時代、と本作のテーマが語られています。社会は停滞し、人間の心が最も荒んでいた時代と言えます。舞台は陸奥。国司・平正氏(清水将夫)は民をかばって、使役と重税を命じてきた鎮守府将軍に逆らい失脚。遠く筑紫へと左遷されます。残された妻・玉木(田中絹代)、子の厨子王(加藤雅彦 = 津川雅彦)とその妹・安寿(榎並啓子)は実家へ帰りますが、数年後、正氏を追って下女・姥竹(浪花千栄子)と共に旅立ちます。が、巫女と称する老婆(毛利菊江)にだまされ、人買いに捕らえられてしまいます。そして姥竹は殺され、母は佐渡へ、兄妹は丹後へと売られていくことになるのです。 人は皆平等であるという正氏は慈悲の象徴として描かれます。正氏が言い伝える言葉も、さらに如意輪観音もまた同様に慈悲を象徴します。しかし現実は身分社会であり、理不尽な差別が常識となっているわけです。正氏が父に農民たちの苦境を訴えるシーンがあります。しかし父は農民と自分たちは違うとただ一言で片付けます。そこには理屈を超えた歪んだ秩序があるのみで、人間のエゴが生む醜悪さを印象付けているようです。ただ、この序盤はわかりにくく、唯一本作の欠点となっています。短い時間で過去と現在が繰り返されるので、ややわかりにいのではないでしょうか。溝口作品では、時折このような自分本位となってしまう展開があるように思います。 中盤、タイトルの山椒大夫(新藤英太郎)が登場。しかしこの人物は非道であり、非人間性の象徴として描かれています。森鴎外もそうですが、主人公の安寿と厨子王ではなく、この山椒大夫をタイトルにしているところに、人間社会の理不尽さを強調する奥深さがあり、また、創作者の悲劇好きな面をうかがい知ることにもなります。 山椒大夫に買われた兄妹は子供ながら労働を強いられ、そして十年の月日が経っていきます。青年となった陸奥若こと厨子王(花柳喜章)は半ば自分を見失い、人生をあきらめます。しかし、妹の忍こと安寿(香川京子)はいまだ希望を捨てず、兄を諭すのです。 一方、非人間社会の悲劇はここでピークを迎えます。奴婢の一人がみずから言います。あたしたちは人間じゃない、と。そしてまた、父を嫌って出奔した山椒大夫の子・太郎(河野秋武)もこう断言します。人は自分に関係がなければ他人の幸不幸に興味がないのだ、と。エゴが理不尽な社会を生み、理不尽な社会が人の心を荒ませる、そんなやりきれなさがストレートに伝わってくるようです。さらに、病気で働けなくなった奴婢・波路(橘公子)が生きたまま山に捨てられるというショッキングなシーンが描かれます。が、物語はここから徐々に救いへと転じていくことにもなります。兄妹の悲しい別れを経て親子の再会へと至ることになるわけです。 悲劇を通じて問いかけられる人間性の本質。決して派手ではありませんが、文芸作品ならではの深い感慨が見事に得られる作品ではないでしょうか。この点、溝口健二版「安寿と厨子王」はどこまでもディープであり、しかし観念的であり、そして大人の物語でもあります。したがって、見る側みずからが、ずかずかと物語の中に踏み込んで自分なりの解釈を形づくる必要があります。それは、まさに映画文化の究極の醍醐味と呼べるのではないでしょうか。 |
![]() ![]() ![]() アマゾン検索
more review ...
溝口健二(1898-1956) 主な監督作品 「満蒙建国の黎明」(1932) 「瀧の白絲」(1933) 「虞美人草」(1935) 「祇園の姉妹」(1936) 「残菊物語」(1939) 「元禄忠臣蔵」(1941-42) 「歌麿をめぐる五人の女」(1946) 「雪夫人絵図」(1950) 「お遊さま」(1951) 「武蔵野夫人」(1951) 「西鶴一代女」(1952) ベネチア国際映画祭国際賞 「雨月物語」(1953) ベネチア国際映画祭銀獅子賞 「祇園囃子」(1953) 「近松物語」(1954) 「山椒太夫」(1954) ベネチア国際映画祭銀獅子賞 「新平家物語」(1955) 「楊貴妃」(1955) |
|||||||||||||||||
www.sasaraan.net |
・・・ |
(c) morijoh |