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虎の尾を踏む男達(1945年/日本/59分)
cinema review ![]() STORY
源義経は平家を滅亡に追いやった戦功を挙げながら、梶原景時の讒言によって兄・源頼朝に疎まれ、ついには追われる身となってしまう。そこで義経主従七人は京を脱出。義経に同情を寄せる奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)を頼るべく、山伏に扮して逃避行を続ける。そしてその日、一行は加賀山中を歩んでいた。
安宅関まであと半里まできたところで、一行は休憩をとることに。山伏が義経主従とは知らない強力(ごうりき・案内人)は、ふとしたことから、義経主従七人が山伏に化けて奥州に向かっていると聞いたことを思い出す。そして目の前には山伏七人。強力は一行が義経主従であることを悟るのだった。 一方、強力に気付かれたと知った主従。強力の話を聞き、常陸坊は力づくで関所を破ろうといきりち、片岡は強力にさえ見破られるようでは危険だと指摘する。そこで、ばれれば奥州までたどり着けないと考えた弁慶は一計を案ずる。それは義経を強力に化けさせてごまかそうというものだった。 やがて一行は安宅関(あたかのせき)に到着。しかしすぐに、加賀の地頭・富樫左衛門による詮議がはじまる。そばには一行を義経主従だと疑う梶原景時の郎党が、今にも斬りかかんばかりに様子をうかがっていた。しかし弁慶は落ち着き払って自分たちは南都東大寺勧進の旅であることを主張。すると富樫は、証として勧進帳を読み上げるよう求める。もとよりそんなものなどない弁慶。白紙の巻物を取り出すと、口上を朗々と読み上げる ・・・。 ・・・ ![]() COMMENT
黒澤監督には珍しい中篇作品。能の「安宅」がモチーフ。後には歌舞伎の「勧進帳」として、また人形浄瑠璃としても演じられているそうです。内容は兄・源頼朝に追われる義経の関所越えの一幕を描いたもの。現在でも義経のドラマには欠かせない人気のエピソードとなっています。筆者は能も歌舞伎も見たことはありませんが、映画は、ほぼこれらの展開に沿ってつくられているようです。
物語の背景は平安時代末期。源氏の頭領でもある兄・源頼朝の命で平家を滅亡させた弟・源義経。しかし梶原景時の讒言によって謀反人に仕立て上げられ、頼朝はついに義経を捕らえるよう触れを出してしまいます。そこで追われる身となった義経主従は、京を抜け出し山伏姿となって、自分を匿ってくれる奥州藤原氏を目指します。が、その途中、加賀の国、安宅関。富樫左衛門と梶原家の郎党はすでに義経たちが山伏姿となっていることをつかんでおり、関に山伏が通るのを今か今かと待ち受けていたというわけです。 作中、出てくる言葉の中には予備知識が必要なものが多く、今となってはわかりにくさは否めません。筆者が分る範囲で採り上げてみると、「強力」(ごうりき)とは山の荷担ぎ案内人、「南都」とは奈良、「勧進」とは社寺仏閣の建立・修繕費を募ること、「勧進帳」とはその趣意書のこと、だそうです。ちなみに舞台となる加賀の国は今の石川県に当たります。 義経が頼朝に追われるようになった経緯については史実は異なるようで、多分に義経の子供っぽい性格、極度の政治能力の欠如が影響しいたとも言われます。みずから手柄を誇り、勝手に官位を授かり、と、いったことが積み重なって頼朝の怒りを買い、また頼朝の方にも東国武士の後ろ盾を失いたくないという切実な事情があったということです。平家が一門を優遇したために憎まれて没落したため、義経を特別待遇することはできなかったのでしょう。 ともかくも映画の方は、原典に忠実、とのスタンスをとったせいかプロット上の斬新さは希薄です。原作のアレンジに長けた黒澤監督にしては、これも珍しいことと言えるでしょうか。唯一、強力を狂言回しとして位置づけた点が大きなメリハリを醸成しています。シリアスなスト−リーが展開する中、演ずるエノケンの絶妙のコメディアンぶりは大いに見る者の目を楽しませています。途中、この強力が義経に同情して言います。兄弟げんかなら殴り合えばすむことだ、と。強力の意識は、典型的な「判官びいき」(判官は義経のこと)。義経一行と気付いた後は常陸坊に逃がされますが、危険を顧みず関所の様子探り、再び一行に混じってしまうのです。見る側が容易に感情移入しやすい人物像で、作品の叙情面を見事に支えています。 そしてもう一人、関所で詮議をする富樫左衛門(藤田進)もまた、義経一行と気づきつつ逃がそうと苦慮します。人情話としての醍醐味もこの物語の人気なのでしょう。しかし最も見事なのは、やはり大河内伝次郎の弁慶で、圧倒的な存在感と重厚感を披露。エノケン、藤田進との鮮やかな対比はもちろんですが、やはり、主・義経(仁科周芳、=岩井半四郎)をちょうちゃくするシーンは本編最大のクライマックスと呼べるでしょう。短い作品ですが、見所は多く、一方では、改めて、日本人が見る日本映画、との感を強くしました。 しかし作品の本質は、もちろん面白さや斬新さではありません。おそらくアレンジしようと思えば、黒澤監督のことですから、映画としてかなり面白い作品になり得たはずです。この作品では、日本の古典を通じて得るべき精神的な強さ・美しさを感じ取るべきなのではないでしょうか。ましてや当時は太平洋戦争直後の荒廃した時代。行き過ぎた見方をすれば、古来の伝統を通じて日本と日本人の本質に経ち帰る、そんな復興への思いも込められていたのかもしれません。 |
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