| エクソシスト2 | |
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Exorcist U : The Heretic(1977/アメリカ/118分) [監督] ジョン・ブアマン [脚本] ウィリアム・グッドハート [撮影] ウィリアム・A・フレイカー [音楽] エンニオ・モリコーネ [出演] リンダ・ブレア、リチャード・バートン、ルイーズ・フレッチャー、マックス・フォン・シドー、キティ・ウィン、ポール・ヘンリード、ジェームズ・アール・ジョーンズ [評価] ★★★☆☆ 事件から4年。リーガンは平穏な生活を送っていたが脳波実験を機に超能力が明らかに。一方、事件を調査していたラモント神父は、リーガンに会うと再び悪魔祓いの必要性を予感。悪魔に勝つ鍵を求めて、かつてメリン神父が悪魔祓いをした少年に会いにアフリカへ飛ぶ ・・・。悪霊との戦いを描いたオカルト映画第二弾。現象描写から思想描写に傾倒。展開はやや雑ぱくに。インパクトは減ったがよりオカルティズムな展開。 |
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ストーリー メリン神父悪霊祓いの最中に心臓病で命を落としが、リーガンが悪霊から解放された事件から4年。平穏な生活を送っているリーガン。事件の記憶はなく、精神のケアのため、タスキン医師のもとに通っています。一方、女優の母クリスはロケで出張中。使用人のシャロンは事件以来2年もの間入院を余儀なくされたものの、今は治ってリーガンと同居。世話を焼いています。 イエズス会では、メリン神父とも親交が深かったラモント神父が呼び出しを受け、メリン神父の死の真相の調査を命じられます。そしてタスキン医師を訪ねリーガンに会うと、脳波を同調させて治療する実験に参加。リーガンに相対したラモントは、リーガンの記憶の中に入り、メリン神父が悪霊パズズに殺されたことを知ります。そして実験後、リーガンはアフリカの夢を見るようになり、一方で火事を予知したり自閉症の少女を治したりと不思議な力を発揮し始めるようになります。 ほどなく再び脳波実験を行ったラモントとリーガン。リーガンの中にアフリカのイメージを見ます。それはメリンが40年前にパズズから救ったコクモという少年の姿。そこでラモントは、偉大な善が悪魔を呼び寄せるという驚愕の事実を悟ります。同時に、リーガンが偉大な善で、すでにパズズが取り憑き始めたことを知ると悪魔祓いの必要性を確信。パズズに打ち勝つ鍵を持つコクモに会うため、アフリカへと飛んだのですが ・・・。 コメント 日本人には「太平洋の地獄」(三船敏郎主演)が印象深いジョン・ブアマン監督。独特のタッチの異色作も多く、本作もその部類に入るのでしょうか。その作風は、純粋な娯楽作からは一歩引いた娯楽作、とでも呼べるかもしれません。本作のタイトルの "Heretic" は異端者の意味。タイトルからして哲学的・思想的な匂いを漂わせ、ここでも異色性を感じさせます。インパクトこそ減りましたが、映像以上に思想的な背景がショッキングではないでしょうか。その逆説的な善悪論には注目したいところです。 悪魔祓いの最中、メリン神父が心臓病で亡くなり、カラス神父がパズズを自分の中に封じ込めて自殺を遂げた前回の事件から4年。リーガンが使用人シャロンとともに平穏な生活に戻っているところから始まります。本作では監督も脚本も代わりましたが、リーガン(リンダ・ブレア)とシャロン(キティ・ウィン)は前作から続投。作風の変化にもかかわらず統一感を保つ役割を担っています。 もう一方の主人公・ラモント神父には名優リチャード・バートン。重厚さは相変わらずですが、人間的な弱さを映し出したメリンとカラスの両神父に比べると行動描写が中心。人間描写の深みの物足りなさを感じた人も少なくないと思います。 そのラモント神父。再び出現するパズズを倒すためにコクモ(ジェームズ・アール・ジョーンズ)に会うことになります。現実と幻を行き来する姿が、そのまま善と悪の駆け引きを象徴しています。そして最後、鍵となるイナゴが善と悪を分ける(あるいは運ぶ)象徴となり、クライマックスを迎えることになるわけです。 エクソシズムに焦点を絞った前作があまりにもスマートなつくりであったため、やや多面的となった本作はどうしても雑ぱく感を受けてしまいます。やはり明るい色調のシーンが多いせいもあるのでしょう。根底にあるオカルティズムはより明確になったものの、前作で全編を覆った陰鬱感とは対照的。さらにモチーフそのもののほとんどが前作を踏襲したもので、新鮮さに欠けることもやや評価を下げた一因ではないでしょうか。 悪魔祓いを善と悪との戦いにまで昇華させたともいえる本作ですが、多くのファンは、"ジャンル" にこだわり、単純によりショッキングな映像を期待したのではないでしょうか。深みを増した一面を内包しているだけに、作品の質ほどに評価を受けなかったのはちょっと不幸と言えるかもしれません。 | |
* 評価やコメントは、あくまでも、"もりじょう"の個人的な感性に基づくものです。