Index

HOME > 映画TOP > 鑑賞記(洋画)

Information


ウディ・アレンの重罪と軽罪

Crimes and Misdemeanors(1989年/アメリカ/104分)

[監督]ウディ・アレン
[脚本]ウディ・アレン
[撮影]スヴェン・ニクヴィスト
[出演]キャロライン・アーロン、アラン・アルダ、ウディ・アレン、クレア・ブルーム、ミア・ファロー、ジョアンナ・グリーソン、アンジェリカ・ヒューストン、マーティン・ランドー、ジェニー・ニコルズ、ジェリー・オーバック、サム・ウォーターストン

[内容]

 ジュダは眼科医として成功したが愛人から離婚を迫られ窮地に陥っていた。手に余ったジュダはやがて愛人の暗殺を決意する。その頃、うらぶれた映画監督のクリフは離婚の危機を感じていた。その上仕事で知り合った女性ハリーに一目ぼれ。が、同じように惚れている義兄と取り合いになる ・・・。ウディ・アレンの人間ドラマ。シンプルなストーリーの一方、神・愛・モラル・エゴなど、哲学を背景にしたモチーフが多く、解釈にはかなりの難解さをともなう。この点アレン作品のセリフの多さはやはり弊害。読み解くというよりは自分の感性で鑑賞したい。
[評価]★★★☆☆

cinema review

STORY

 眼科医として地位と財産を築いてきたジュダ・ローゼンタールは、家庭でもよき妻ミリアムに恵まれていた。しかしある日、家に届いた郵便物の中からとんでもない手紙を発見する。それは愛人ドロレス・ペリーから妻ミリアムに宛てた手紙で、開けて見ると会って話をしたいとの文面。急ぎドロレスに会いに行くと執拗に離婚を迫られ、ジュダは自分が窮地に陥ったことを悟る。
 同じ頃、売れないドキュメンタリー監督クリフォード・スターンは妻ウェンディとの離婚を予感しつつあった。ある時、妻の兄で売れっ子TVプロデューサーのレスターから仕事の誘いを受ける。妻が仕事のないクリフを思って頼んだらしい。妬みもあってレスターを嫌悪していたクリフだが、金のためと割り切って受けることにする。
 そのウェンディとレスターの兄ベンは、目を患ってジュダの許に通院していた。ジュダはラビ(司祭)であるベンに愛人のことを相談してみる。するとベンは、モラルの大切さを説き、妻にすべてを打ち明けるべきと助言してくるのだった。この時、ジュダの頭に亡き父の言葉が浮かぶ。神の目を欺くことはできない、と。
 その頃、クリフはレスターの密着番組を撮影していた。そこで撮影助手のハリー・リードに会って一目ぼれ。自分が手がけている哲学者ルイス・レビーのドキュメンタリーを見せるとすっかり意気投合。しかしレスターもまたハリーに惚れてアタック中だった。
 一方ジュダは、ドロレスから、結婚しなければ医療基金の使い込みをばらすと脅されていた。ジュダは弟のジャックに愛人問題を相談。すると裏社会に生きるジャックは愛人を始末するのがいいと提案する。ジュダは良心と保身の間で思い悩んだ末、ついに弟にすべてを任せることにする ・・・。

・・・

COMMENT

 ウディ・アレンの人間ドラマ。普段の軽妙さ、コミカルさを多少含んでいるものの、娯楽性はさほど高くはありません。一方では哲学的・宗教的なモチーフが多く、思考的な作品のように見えます。いちいちじっくり読み解いていくと頭が痛くなりそうですが、むしろみずからの感性に頼って観る方がしっくりと自分の中に入ってくるように思います。
 物語はユダヤ人の二人の主人公を別々に描いていきます。一方は社会的に成功を収めた医師ジュダ(マーティン・ランドー)。愛人(アンジェリカ・ヒューストン)に妻との離婚を迫られ窮迫。ジュダは良心と保身との葛藤の末に愛人暗殺を決意してしまいます。が、それにより罪の意識にうちひしがれることとなります。
 この人物、ジュダとしては、モラルの崩壊を象徴しているようです。物語はまさにモラルの選択を描いていると言えます。その時ジュダの頭の中に浮かぶのは父の言葉。「神の目」。善には報い、悪には裁き。宗教的な響きが重くスクリーンにのしかかります。
 もう一方の主人公、クリフ(ウディ・アレン)。売れない映画監督で妻とは倦怠期。こちらは対照的に愛やモラルを信奉。しかし妹の娘に不道徳を教えたり、密着映画で妻の兄レスター(アラン・アルダ)を散々にこき下ろたり、と。モラルへのちょっとした反抗には抵抗がありません。ある時には仕事で一緒になった女性ハリー(ミア・ファロー)に恋心を抱きます。せっせと求愛するクリフでしたが、ハリーが選んだのはクリフが憎悪するレスター。クリフは失恋と悔しさで絶望するのです。
 この主人公二人が接するのは終盤のワンシーンのみ。しかしその時のシーン、、ジュダの妻との抱擁の場面は、諧謔と恐怖に満ちている、と言わねばなりません。ジュダは殺人という罪を生きる術にすりかえ、元の幸せな生活に戻っていたのです。そこには神も罪も存在しません。が、クリフは言います。「神がいないのなら自分が罪を背負うべきだ」と。が、ジュダの人生を謳歌する姿は、モラルを重んじるクリフが人生に疲れ、絶望の渕をさまよっているのとは実に対照的です。逆説的でもあります。
 ところが、映画としてのラストは次のシーン。失明しながらも泰然としているベン(サム・ウォーターストン)。背景は、そのベンが娘の結婚式で一緒にダンスをする姿。言葉は自殺したレビー博士から発せられます。神の創造には愛が欠けている、しかし人間の愛は意義を生み、努力は喜びを見い出す、と。思えば、物語の登場人物は皆、愛を求めています。時に裏切られ、時に挫折し、時に成就する。様々な愛が様々な形に変わり、それが悲喜こもごもの人間ドラマを生んでいるわけです。
 さらに言葉は続きます。「未来の世代に託す」、と。物語自体は単にモラルの選択を描いたと見れるかもしれません。ある人間がモラルを選択し、その決断がもたらした末路、すなわち「真の自己の発見」を示した、ということ。さらに言えば、重要なのは観る者がそこに何を見い出すかなのだ、と。そんな思いが込められているようにも考えられます。
 軽妙な中にあからさまに深いテーマを浮き立たせている本作。しかし一部のアレン作品に見られるように、セリフ偏重のつくりにはやや閉口してしまいます。特に本作のような重いモチーフを含む場合は、見る方にとってもセリフの多さがプレッシャーとなりがちです。ところが、アメリカでは非常に高評価のよう。やはり玄人受けの傾向が強い映画と言えるでしょうか。アメリカ映画界のウディ・アレン好きが垣間見えます。

(ハピネット・ピクチャーズ)
アマゾン検索
ウディ・アレン
(マンハッタン、影と霧)
マーティン・ランドー
(エド・ウッド、マジェスティック)
ミア・ファロー
(ローズマリーの赤ちゃん
ナイル殺人事件)



www.sasaraan.net

・・・

(c) morijoh