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薔薇の名前

The Name of the Rose
(1986年/フランス・イタリア・西ドイツ/130分)

[監督]ジャン=ジャック・アノー
[原作]ウンベルト・エーコ
[脚本]アンドリュー・バーキン、ジェラール・ブラッシュ、ハワード・フランクリン、アラン・ゴダール
[撮影]トニーノ・デリ・コリ
[音楽]ジェームズ・ホーナー
[出演]ショーン・コネリー、F・マーリー・エイブラハム、エリア・バスキン、フェオドール・シャリアピン、ウィリアム・ヒッキー、マイケル・ロンスデール、ロン・パールマン、ヴォルカー・プレヒテル、ヘルムート・クォルティンガー、ヴァレンティナ・ヴァルガス、クリスチャン・スレーター

[内容]

 中世、北イタリア。修道士ウィリアムと弟子アドソがある僧院に到着する。すると院長から、最近起こったある写字生の塔転落事件を調べてほしいと依頼される。しかし捜査中、写字生と親しかった翻訳者と上司が相継いで殺害。彼らの指の先には不思議な黒いしみが付着していた ・・・。ウンベルト・エーコ原作の映画化。ミステリーをベースにしながら、当時の歪んだ宗教事情を絡めた第一級のストーリー。さらに語り部の愛や真実を求める姿勢が深みを醸成。ただし、なじみにくさも第一級。
[評価]★★★★☆

cinema review

STORY

 1327年末、北イタリアの僻地。ベネディクト会のある僧院に、フランチェスコ会の修道士ウィリアムと弟子アドソが訪れる。両会間で議論を戦わすためだった。しかし着いた早々、院長から、写字生の青年アデルモが塔から落ちる事件があったことを告げられる。しかも塔の窓は閉じられていたという。そしてこの奇妙な事件の真相を究明してほしいとウィリアムに依頼するのだった。
 ウィリアムとアドソが現場である塔の下へ行ってみると、確かにそこには血痕が残っていた。塔の近くには残飯の落とし口があり、今も捨てられて残飯を拾いに、貧しい農民たちが争っている。その時アドソは、その中の一人の少女と目が合う。みずぼらしい姿の少女だったがアドソは強く心魅かれる。
 ウィリアムは自殺だと推理するが、翌日、豚小屋の甕の中から死体が発見される。ギリシャ語翻訳者のヴェナンツィオだった。しかも彼はアデルモと親しかったという。ウィリアムが死体を調べてみると、指の先に黒いしみが付着しているのを発見する。現場近くには格子模様の靴跡。ヴェナンツィオは別の場所で殺され、後に移動させられたとウィリアムは確信するのだった。
 ウィリアムとアドソはヴェナンツィオが仕事をしていた図書館の写字室を尋ねる。図書館の主任司書は院の長老でもあるホルヘだった。ここでふとしたことからホルヘとウィリアムの論争になってしまう。ホルヘはベネディクト会の信義に忠実で、笑いを禁じていた。しかしウィリアムもフランチェスコ会も笑いを肯定していたのだ。さらにヴェナンツィオの机を調べようとすると、なぜか副司書のベリンガーリオが邪魔に入る。
 二人はおとなしく写字室を後にするが、その夜ひそかに写字室に侵入。するとヴェナンツィオの机からメモを発見。そこにはゾディアックを使った暗号が記されていた。すぐに解読はできなかったが、字は左利きの人間が描いたものらしい。左利きの副司書に違いなかった。ところが翌朝、副司書の死体が浴槽から発見される。そしてその指には、またもや黒いしみが付着していた ・・・。

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COMMENT

 当時大変な話題となったウンベルト・エーコの原作を映画化。監督は巨匠ジャン=ジャック・アノー。中世ヨーロッパの僧院を舞台にした異色のミステリー。ただしミステリーとしてはシンプル。物語を複雑にしてるのは宗教上の様々なモチーフで、哲学的ですらあります。さらに当時の複雑な宗教事情への諧謔も垣間見ることができ、総合的には極めて難解な映画と呼べるでしょうか。良くも悪くも、宗教・哲学・歴史の知識の有無によって、評価ががらりと変わる可能性は否めません。
 物語の舞台は14世紀イタリア。ローマ教皇庁がアヴィニヨンにあった時代(アヴィニョン捕囚)。北イタリアのある僧院に、修道士ウィリアム(ショーン・コネリー)が弟子アドソ(クリスチャン・スレーター)と共に訪れます。が、そこではおそるべき犯罪が進行中。写字生アデルモが塔から転落死。続いて親友のギリシャ語翻訳者ヴェナンツィオが、さらには上司の副司書ベレンガーリオが怪死。この二人の指には謎の黒いしみが。ウィリアムは院長の依頼で捜査を行い、ある禁書に行き着きます。3人は禁書の存在を知ったために死んだのではないか? が、そのありかが分らない。そんな中、かつて対立したことのある異端審問官ギー(F・マーリー・エイブラハム)が到着。悪魔の仕業と決め付け、ウィリアムの推理を否定。無実の人間に罪を被せ、魔女裁判をはじめてしまうのです。
 進行には語り部がおり、数十年後のアドソがこれに当たります。作中、アドソはみすぼらしい農民の少女に恋をします。タイトルの「薔薇の名前」は、ここではこの名も無き少女を指しているようです。物語の最後は原作同様一節のラテン語によって閉じられています。 "Stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus." と。映画での訳はこうです。「バラは神の名付けたる名、我々のバラは名もなきバラ」 と。本来は哲学的な意味も込められているのかもしれませんが、映画に限れば、感傷的には、確かに、アドソの少女への想いを象徴したと見れるでしょう。
 ところがウィリアムはいいます。愛と情欲とは違う、と。愛とは神に対するものだ! 物語の重要な点は、このウィリアムが“みずからの”愛について語れず、アドソが生涯この少女を忘れ得なかった点にあるのでしょう。すべてを見通したようなウィリアムですが、一方では異端審問を恐れ、一時的にでもギーの偏見に追従しています。真実とは何か? 愛の本質とは? ここで、名もなきバラ、の一節がひどく重くのしかかって来るように感じます。「薔薇の名前」とは、みずからがみずからの価値で決めるものではないのか? つまりは、それが物事の本質ではないのか、と。おそらくこの不思議なタイトルは、当時の宗教のありようや論争の空虚さを滑稽化し、あるいは物事の本質へ導こうとするキーワードのような気がします。それはまた、アドソが最後に至った境地なのだろうとも思います。
 事件のあらましは物語の中ほどであっさりと種明かしされます。ただし犯人と動機が明らかになるのは最後。この犯人に本当に犯行が可能だったのか? こんな動機で本当に犯行を続けたのか? 異論は噴出しそうですが、見ている時はさほど違和感を感じません。この点、中世僧院という極めて特殊なシチュエーションがほどよい煙幕になっているように思います。
 物語は当時の異常な宗教事情をも映し出しています。魔女狩りや男色。そして事件は、閉鎖的な宗教界に起因していることも明らかです。ウィリアムがこれらを端的に表現しています。「信仰と狂気の差はわずか」である、と。また、異端であるドルチーノ派のレミージオ(ヘルムート・クォルティンガー)は、さらに具体的に言っています。教会は農民から搾取している、と。一方では、屠殺や牛の心臓、異形の登場人物もそうですが、物語は必要以上にグロテスクな環境を作り出しています。しかしこれもまた、観る者の偏見を誘う罠であるかもしれません。いずれも、観る者に、物事の内面を見よ、と問いかけているようでもあります。
 実は本作はややひねくれた構成をしています。すべての事情が分った上でもう一度観るとそれが実感できます。一度目では訳が分らなかった数々のカットがパズルのようにはまっていきます。二度観るべき映画、とはあるもので、本作はその一本と言えるでしょう。ただ、エンターテイメント映画にしては専門知識が必要でありすぎる、というのも正直な感想。中世キリスト教、黙示録、アリストテレス、など。この点日本人にはちょっと馴染みにくいシチュエーションに思えます。いや、気にしなければどうということもなく、障害なく見られるのですが、何となく損した気分になってしまうということです。いずれにしても、どこまで深みにはまるかは観る者次第、ということになりそうです。

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