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堀部安兵衛

(ほりべやすべえ)

著者 : 池波正太郎
発行 : 新潮文庫(全二巻)
あらすじ ...
 天和三年(1683)、越後新発田藩。ある夜、中山安兵衛十四歳の時、父・弥次右衛門が受け持ちのやぐらから出火。弥次右衛門は閉門を言い渡されます。剛直な弥次右衛門を嫌った藩主・溝口信濃守の陰謀でしたが、一言の言い訳もなく弥次右衛門は自害。中山家は取り潰しとなってしまいます。残された安兵衛は江戸へ向かう決意を固め脱出。その途中、陰謀の実行犯と聞かされていた福田源八を見かけると挑みかかり、幼少から父に鍛えられていた安兵衛は相手をついに討ち果たします。そして、始終を見ていた颯爽とした剣士・中津川祐見と親しくなります。
 四年後、親戚のはからいで旗本・徳山五兵衛に奉公していた安兵衛は、ある日中津川祐見と再会。が、以前のような颯爽とした風は見られず、そんな安兵衛の蔑みの目を感じ取った祐見は、その夜、酒と女に溺れさせてしまいます。そのせいで徳山家に帰れなくなった安兵衛はそのまま出奔。親戚のいる小田原へ向かいます。途中、ひょんなことから盗賊・鳥羽又十郎に襲われたところ、またもや祐見と出くわし、助けられることに。その後、共に京へ上りましたが、やがて女の取り合いで仲違い。さらに女と江戸へ向かった祐見を追いかけますが、逆に殺されそうになってしまいます。
 が、その時、安兵衛を一人の老武士が救います。老武士は伊予西条藩松平左京太夫の臣・菅野六郎左衛門。六郎左衛門は安兵衛の実直さを見抜き、安兵衛の身が立つよう奔走。ほどなくして叔父・甥の盃を交わすことに。さらに数年後、松平家では継嗣騒動が発生。六郎左衛門を敵視する村上兄弟、その後ろ盾を中津川祐見。やがて両者は些細なことから争いとなり、高田馬場で果し合いをすることになってしまいます ・・・。
コメント ...
 中山安兵衛(のち堀部安兵衛)の生涯を描いた伝記的な歴史ドラマ。中山安兵衛といえば高田馬場の決闘(1694)と忠臣蔵(赤穂浪士の討入, 1702)。泰平を迎えていた江戸時代中期、武士の忠義を再認識させたこの二大事件に、安兵衛は関わることになまります。まさに時の英雄と呼べるでしょう。
 ただし、その前半生についてはよく分っていないことが多く、本作では自由な発想で冒険小説的な展開を見せています。このあたりはストーリーテラーたる著者の真骨頂といったところ。しかし後半は過度なほど冷静に史実を見つめます。特に赤穂浪士の事件については、世評風評に惑わされることなく、丹念に資料文献を紐解き歴史の真実に迫ろうとしているのです。時代娯楽小説を多数手がけている著者ですが、歴史という枠を決してはずさないのが見事なところ。安兵衛の生涯は、おそらくは本書に似たものであったと察せられます。

 物語は、まず、中山安兵衛が浪々の身となる経緯から入ります。安兵衛の父・弥次右衛門が失火の罪を着せられ謹慎。実は弥次右衛門を嫌う時の藩主の嫌がらせだったのですが、弥次右衛門は責めを負ってみずから切腹。中山家は断絶。そして江戸の親類を頼ることにした安兵衛は一人で出奔。時に安兵衛14歳。ここで著者はドラマを演出します。後にライバルとなる剣客・中津川祐見が安兵衛と知り合うというシーンです。最初は善玉として登場する祐見ですが、その驕慢さが仇となって周りから嫌われ、歪狭な人間に成り下がってしまうのです。
 やがて、安兵衛は伊予松平家の臣・菅野六郎左衛門に拾われることになるのですが、これが安兵衛の運命を決定付けることになります。子のいない六郎左衛門とは叔父・甥の間柄となり、一方では剣術修行に励みます。が、やがてお家の派閥抗争から敵対するようになった村上兄弟と、六郎左衛門は決闘する羽目に。村上兄弟を道場主となっていた祐見が助勢。六郎左衛門を安兵衛が助勢。これが、元禄七年の高田馬場の決闘と呼ばれる事件です。
 結局、決闘は安兵衛の側が勝ち、相手を討ち果たすことになりますが、六郎左衛門はこの時の傷が元で間もなく亡くなってしまいます。一方、安兵衛の声望は一気に江戸中に広まります。実際その評判は大名旗本の殿様にまで及び、仕官の話がいくつも舞い込んだことは確かなようです。この時なぜ安兵衛が仕官しなかったのかは筆者にはわかりません。本書のように、天狗になっていた自分を戒めたのかもしれないし、菅野六郎左衛門への義理立ての意味合いもあったのかもしれません。
 ともかくも、決闘の噂が沈静した後、赤穂藩士・堀部弥兵衛と知り合うことになります。弥兵衛には一人娘・幸しかいなかったのですが、それよりも安兵衛への執心が凄まじく、父子になれるなら堀部姓を捨て、共に中山家を立てるとまで言い始めるのです。安兵衛もついには根負けして婿入り。ここに、堀部安兵衛が誕生することになるわけです。
 元禄十四年三月十四日、安兵衛三十二歳。この日、江戸城松の廊下で浅野内匠頭(たくみのかみ)が吉良上野介(こうずけのすけ)に刃傷に及び、江戸史上最も庶民に記憶される日付となりました。喧嘩両成敗の御法にもかかわらず、調査はろくに行われないまま、浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介にはおかまいなし、さらに赤穂藩五万三千石は取り潰し。翌年十二月十四日、赤穂義士の吉良邸討ち入りをまねくことになるのです。
 この吉良上野介についてはいまだ人物像が定かではありません。忠臣蔵のように賄賂好きの嫌味な男だったのか、近年では名君ではなかったかとの説まで飛び出しています。が、本書では、確かな文献を選別して引用し、傲慢な性格だったことは確かなようだ、との記述に留めています。逆に浅野内匠頭(たくみのかみ)はひどく細々とした性格だったようで、付け届けの品々にまで細かい指示を与えていたとか。この対照的な人物像が事件に影響していたとの捉え方が面白いところといえます。
 周知のごとく、吉良邸討ち入りは成功。しかし赤穂浪士たちは切腹と決まり、安兵衛もその短い生涯を閉じることになります。時に元禄十六年二月四日、安兵衛三十四歳。江戸時代、戦乱の風が残る初期と幕末の革命期を除けば、これほど波乱華麗な生涯を送った武士は希と言えるでしょう。

 安兵衛は、後に講談や講釈、様々な物語の中で尾ひれが付けられ、豪傑に仕立て上げられてゆくわけですが、おそらくは本書のようなまじめな人物像ではなかったでしょうか。本書では、その過ちをも描き、人間らしい欠点をも浮き彫りにしています。また、池波作品に欠かせない女色。今回もお秀なる女性が登場。大いに安兵衛を惑わし、あるいは奇縁で結ばれていきます。他にも鳥羽又十郎なる盗賊。時に敵、時に味方となります。いずれもがいつも通りの人間クサさを見せ、人情娯楽ものとしてのおもしろさを創出しています。
 著者は、忠臣蔵を書いてみたい、と言っていたそうです。本書でも描かれてはいますがあくまでもモチーフのひとつ。忠臣蔵には様々な作家が挑んでいます。池波忠臣蔵ができていれば抜群のおもしろさを誇ったに違いありません。池波ファンにとってもちょっと残念ではあります。

・・・ 関連作品 ・・・
 堀部安兵衛を見守り続けた旗本に、徳山五兵衛という人物が出てきます。この人物に焦点を当てたのが 「おとこの秘図」
 こちらにも安兵衛が登場しますが、冒険時代劇の色が濃く、筆者お気に入りの一本でもあります。

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