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功名が辻

(こうみょうがつじ)

著者 : 司馬遼太郎
発行 : 文春文庫(全四巻)
あらすじ ...
 織田信長が清洲から岐阜に本拠を移した永禄十年。移動する行列の中にひときわみすぼらしい武士が一人。ぼろぼろの身なりにやせ馬。しかも五十石の分際で二人の郎党。そんな山内伊右衛門のもとに嫁が来ることに。もと浅井家の家来若宮家の一人娘・千代。いかにも頼りなげな伊右衛門に対し、千代は美人で賢い上につつましやか。この時千代は律儀さだけがとりえのような夫・伊右衛門を一国一城の主にすることを決意します。
 まずは千代が出世を見込んだ木下藤吉郎の与力に伊右衛門をさりげなく誘導。ほどなく若狭攻めで二百石に。一息つく伊右衛門にこれもさりげなく家来探しに奔走させ、身代以上の人数を召し抱えることに。いまだ千代のたなごころで動いているとは気づかない伊右衛門なのですが、千代もやりくりに苦慮しながら伊右衛門を支えていきます。
 やがて浅井攻め。織田・徳川軍は姉川で勝利。伊右衛門は四百石に。さらに小谷城が落ちると千代の見込み通り藤吉郎は大名になり、伊右衛門も千石に加増されます。その藤吉郎秀吉が近江長浜に城下町を築くと、わがままを言って長浜への引越しをせがみます。が、これも秀吉に密着させたいがための芝居。そして秀吉の陪臣となると二千石を持つに至ります。
 そんな時、老馬しか持たない伊右衛門。馬を買う余裕などないのに馬の市へ。そこにはたった一頭を奥州からひいてきた馬商人。誰も買えないその駿馬に金十枚の値をつけた伊右衛門。つけたはいいが金はありません。が、それを聞いた千代が出してきたのは虎の子の金十枚。千代の読み通り、評判が評判を呼び一躍伊右衛門は家中に名前を知られることとなります。
 そして中国攻め。が、その間本能寺の変で信長が倒れ、続く秀吉の大返し。秀吉旗下の武将たちには一度ふたたびの好機。ここで手柄を立てて大名に、と勇む伊右衛門でしたが ・・・。
コメント ...
 司馬戦国では「国盗り物語」がおもしろさでは一頭地抜けているでしょうか。が、本作もなかなか。妻千代の内助の功で五十石の馬廻役から土佐二十四万石の大名に登りつめた山内伊右衛門一豊の物語。戦国の出世頭・秀吉とは比ぶべくもありませんが、山内一豊の名を有名にしているのは妻・千代の存在があるからだといえます。土佐山内の祖は千代、というくらい有名な人物ですが、本作では数々の伝説的な挿話を含めて、二人の姿を活き活きと描き出しています。
 物語は信長が岐阜に本拠を移すところから始まります。貧乏武士伊右衛門のもとに嫁いできた千代。送り出した不破家からは、決して使うなと、金十枚が渡されます。これが後に有名になる十両の馬の話のもと。それはともかく、新婚初夜。 "ち、千代殿" 、と激しく抱き寄せる伊右衛門に、(まあ、乱暴) と心の中では冷静な千代。そんな二人のおかしな姿が終始ユーモラスに描かれていきます。
 千代のさりげない言葉に踊らされ続ける伊右衛門。決して意見するようなことはありません。はじめて加増を受けた伊右衛門が家でのんびりしていると、"吉兵衛と新右衛門(二人だけの郎党)が馬に乗れる武士になれたと喜んでおりました" と何気ない一言。すると、思い出したように伊右衛門は家来探しに奔走する、といった具合。乗せられているようで、結局千代のうまさにごまかされて自分の自信に変えてしまうその姿は滑稽でもあります。
 その間、時代は変転します。常勝秀吉軍は次々と手柄を立て、信長亡き後、ついに天下を取ってしまうのです。この時伊右衛門四千石。大功なく小功を重ねて得た領地。これは生涯変わりませんでした。が、千代には不幸もありました。唯一の子を近江の大地震で亡くしてしまいます。その後、子宝に恵まれることのなかった千代は、同じく子ができなかった秀吉の妻・ねねにも通じるものがあります。
 そして物語はいよいよクライマックス。関が原へと突入していきます。その直前。ここで千代の名を永遠に歴史に留めることになる事件が勃発します。東西手切れの際に来た大阪方から味方になるようにとの文。が、千代は封すら切らずに伊右衛門への私信とともに家康へ送るのです。天下の情勢がいまだ定まらない折。これを機に、結局従軍していた武将たちは家康への味方を決意していくわけです。家康の喜びは尋常ではなかったでしょう。関が原でも大した功のなかった伊右衛門でしたが、結局千代の大功で土佐二十四万石の太守となるのです。
 ここまでの伊右衛門。信長・秀吉・家康、と渡り歩いたことを思えば、日和見な、と思ってしまうのですが、意外にも律儀さで通っていた人物であることがわかります。自分の主は自分で選ぶ。後の忠節を宗とする武士道とは異なる姿がここにはあります。この地味な武将の姿を通して、戦国武将のありようが伝わってくるのもおもしろいところ。
 一方、"夫を一国一城の主にする" その願いが叶った千代はどのような思いだったのでしょうか。夢を実現する力。目的を見失うことなく、見事なほど冷静に手段を講じてきた千代。しかしそれはまた、人間の心の機微を読むに長けていなければできなかったこと。裏では、千代の思いやりが卓越したものであることも見て取れます。不幸にも母としての一生には恵まれませんでしたが、すくなくとも、それが千代の望んだ一生であることには違いないようです。あるいはそれが戦国時代らしい戦国武将の妻の、波乱の生き方のひとつでもあったのではないでしょうか。
 終盤、伊右衛門は土佐の一両具足の反乱に悩まされます。"掛川六万石くらいがちょうどよかったのだ" と、器量以上の身代を持ってしまった悲哀が映し出されます。そして最後、伊右衛門が世を去ると、千代はなぜか土佐を離れます。はたして千代の一生は、あるいは心の中は大半を伊右衛門で占められていたのかもしれません。そしてそのふしぎな一生は、切なさを含みつつ、六十一歳で幕を閉じることになります。
 千代の話の多くは、かつては妻の内助の手本として語られたわけですが、さすがに男女平等の現代にあってはあまり引用されないようです。その前に、実は千代の挿話は、いずれも本当の話なのかどうかは定かではないのです。時に教訓として、時にはおもしろおかしい物語として、長い歴史の中で尾ひれが加えられ、あるいはつくり上げられたものなのかもしれません。いずれにせよ、それよりも夫婦関係や人間関係の機微を考えるとより身近に感じる話。今一度そんな角度から千代の生き方を眺めてみると、結構目から鱗だったりするところがちらほら。人間関係を築くヒントになったりもします。そんなふうに見ると、ふたたび千代の活き活きとした姿が現代によみがえってくるのではないでしょうか。

・・・ 関連作品 ・・・
 山内一豊は土佐二十四万石の基礎をつくりましたが、その前に土佐を統一したのが長曾我部元親。その元親の生涯を描いたのが「夏草の賦」
 また、一豊の子孫、容堂を描いたのが「酔って候」。容堂が治めていた300年後の幕末、土佐では、坂本竜馬や武市半平太といった英雄たちを雲霞のごとく生み出しました。

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