Index |
 |
HOME >
小説TOP >
読書録 |
 |
Information |
|
ながい坂(ながいさか)
- 著者 : 山本周五郎
- 発行 : 新潮文庫(全二巻)
- あらすじ ...
-
ある七万八千石ばかりの小藩。阿部小三郎は二十石の徒歩組組頭・小左衛門の嫡男。小三郎が八歳の時、父小左衛門とともに釣り場へ出かけた折、堀にかかっていた橋が壊されているのを見て立ち止まります。そこに近づいてきた小者が、ここは藩の重臣・滝沢家のもので人通りが子息の勉学の邪魔になるから取り壊したのだと説明します。そんな小者にへつらいきびすを返す父。それを見て、こんな無法が通って誰も何も言えない世の不条理さに憤りを感じ、世の中を変えたいと激しく願うようになります。
その日から人が違ったように勉学と剣術に励む小三郎はもはや八歳の子供ではありませんでした。やがて抜きん出た学才と剣才で、五年後には藩主昌治の小姓という平侍では異例の抜擢を受けます。そして名を主水正(もんどのしょう)とあらため郡奉行与力に任命されることに。さらに翌年起こった大火の後始末で鮮やかな処置を断行したことで、一躍領内にその名を知られることとなります。 が、一方では城代家老の嫡男滝沢兵部をはじめとする上級藩士ににらまれることになり、あらためて平侍への差別を味わうことにもなります。二十歳になると老臣山根家のつると結婚。絶えていた名門三浦性を継ぐことになるのですが、名門の出で気位の強いつるとはうまくいかず、家の中でも交わりを持たないほど険悪な仲になってしまいます。 やがて、以前より藩主昌治と話し合っていた、困難を極めた堰堤工事に取り掛かることに。心血を注いで工事を指揮する主水正。唯一の安らぎは、商人たちが主水正に取り入ろうとして用意した、幼なじみのめかけ・ななえの家。が、ほどなく工事に反対する者たちから様々な妨害を受け、さらには藩主継承をめぐって対立していた重臣たちが政治を掌握。工事は中止、藩主昌治は軟禁され、主水正も命を狙われるようになります。そして主水正は、巻き返しを図るべく、身分を偽り、ななえとともに身を隠すのでしたが ・・・。
- コメント ...
-
一人の下級藩士の三十年にわたる苦難の半生を描いたドラマ。作者は自分でもタイトルをつけるのが苦手だと言っていたようです。本作「ながい坂」もタイトルは平凡だなあ、などと思っていたのですが、読み始めてみると、物語の本質をこれほど端的に表す言葉は他にないように思えてきます。一方、山本周五郎作品はどれもがおもしろく、しかも明快なテーマを見事に表現しきっていて読み終わったあとの感動の深さが違います。また、分かりやすい暗示表現や多彩な表現・シチュエーションも魅力ではないでしょうか。本作はその代表格に挙げてもよいと思います。
物語は、主人公・主水正(小三郎)八歳のときから始まります。いつも通っていた堀のちいさな橋。が、ある日突然、私情によりその橋が壊されているのを見て強い憤りを覚え、みずから世を変えようと勉学に励むことになります。そこから出世を極めるまでの主水正の波乱の人生を描いたもの。妻つるとの不和、幼なじみ・ななえとの生活、困難を極めた堰堤工事、藩の重臣たちのクーデター、など様々なイベントが主人公を待ち構えます。 作中出てくる、 "人の一生は長い。一足飛びにあがるより一歩一歩登ったほうが強い力になる。" とは印象的な言葉。物語では生き急ぐ主水正にこの言葉が浴びせられるのですが、これは、作品のテーマである人生の "しんじつ" を象徴する端的なせりふ。読者自身も感慨深くこの言葉を受け止めることになります。 この主人公三浦主水正(阿部小三郎)は理知的な人物です。およそ感情に流されるということがなく、この点はきわめてクール。幼なじみのななえや妻つると対照的なところ。正直、情に薄い主水正に共感できるか否かは疑問です。が、一方で、それが一人の人間のありよう=あるがままの姿なのだとも言えるでしょう。 実は中盤では、彼は江戸で様々な市井の人々と会って、さらに城下に戻り、これまで会ってきた人たちを思い起こすことになります。この時、わが子小太郎の死を思い返してむせび泣いたり、妻つるへの態度が和らいだり、と、主水正は変わったかのようにも思えます。しかしそうではありませんでした。変わっていく人・変わらない人があるのだ、という主水正。母の死、恩師の死などへの無頓着な態度。さらに彼らを自分の付き合うべき人、そうでない人、という風に分けている非情さを見ると、やはり主水正は主水正のままだったのだと言うしかありません。 さらには、みずから賂を受け取ったり、クーデターを起こした重臣たちなどを悪人とせず、それが彼らの信念だったという主水正は極端な現実主義者でもあります。少し視点をずらせば、善と悪という概念の前に、 "あるべきげんじつ" を超えた、 "うけいれるべきしんじつ" があるのだともいえるでしょうか。その意味では、げんじつ主義ならぬしんじつ主義とでも呼べるものが主水正の考えであったことが分かります。 また、物語は人間の平等性についても言及されます。滝沢主殿(とのも)をして "家名・血統への迷妄" と言わしめてるように、大切なのは血筋ではなく人間そのものなのだといっています。が、自分が平侍である認識が最後まで拭えず、さらに廃人同様の滝沢兵部の身分にこだわったり、と、一方では生まれつき備わったもの、などという表現も出てきます。この点でも、人間の平等性と制度の非平等性を冷静に見つめている姿があります。主人公のしんじつ主義が如実に表されているのではないでしょうか。 物語は主水正の死をもって閉じられるわけではありません。これからさらに急な "人生というながい坂" をのぼり続けるという意思で結ばれています。この物語の根底にあるものは、人の一生の本質、といってもいいと思います。それは主水正のような生き方だけではありません。 "ひとが望んですることに差別はない" というように、名もなき市井の人々の何でもないと思われる生涯も、大事を成し遂げてきた自分の人生とひとつも変わるところがないのだ、という思いが込められています。 どうも、いろいろと考えさせられてしまうところの多い本作。突き詰めれば、さらにいろいろなテーマを発掘できることと思います。ひとたび読めば生涯忘れられない一冊になることは間違いありません。
|
・・・ 関連作品 ・・・
山本周五郎の文芸時代劇はいずれもきわめて評判が高く、自信をもっておすすめできます。特に、仙台藩のお家騒動を描いた「樅の木は残った」は新解釈を加えた意欲作でもあります。
|
www.sasaraan.net |
book review |
(c) morijoh |