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夏草の賦

(なつくさのふ)

著者 : 司馬遼太郎
発行 : 文春文庫(全二巻)
あらすじ ...
 織田信長がまだ美濃尾張二カ国の国主だった頃、斉藤利三(としみつ)の元に明智光秀が訪れます。利三の妹菜々を四国の大名・長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)に嫁がせないかとの話。遠く四国のしかも家人物も定かでない場所。が、断ると思っていた菜々はあっさり承諾し土佐へ。その菜々にはおもしろい一生が送れるとの想いがあったのです。
 信長に菜々を請った元親。この頃の領地は土佐の一・二郡。兵はわずか五百。が、その数年後には三代にわたる仇敵・本山氏を破り十万石を、さらに東部の猛将安芸国虎を滅ぼすと土佐の三分の二を手中に収めることになります。
 残る一条氏は土佐の国司。しカも大恩を受けたことのある家。ところが現当主兼定は公家の遊惰安逸と武家の残虐粗暴をあわせ持った愚将。土佐を統一したい元親は、相手を油断させるためもあって、菜々を使者として送ります。しかし、菜々に手をつけようとした兼定をむげにしたことから大騒動に。この一件で菜々をかばった家老土居宗珊を、兼定は刺し殺してしまいます。が、そのために老臣たちは動揺し、ついに元親を頼り兼定追放を企てるに至るのでした。
 土佐はを統一した後、一族が阿波衆に殺されるという事件が起きます。これを機に阿波との対決を決意した元親は、同時に伊予を攻め、さらには讃岐へと戦場を広げていきます。
 一方では五百万石を領するようになった信長と交誼を結ぶべく使者を送ります。その信長。一度は元親の四国統一を認めますが、自らの覇業の障害と見るや一転して元親に奪った所領を返して土佐に収まるよう要求します。これに対し元親は信長との開戦を決意。信長が三万の兵をもって四国討ち入りの準備を進める中、元親は紀州雑賀衆と同盟。決死の覚悟で迎え撃とうとしていたのでしたが・・・。
コメント ...
 戦国時代、四国にその名を届かせた長曾我部元親を描いた歴史小説。小豪族に過ぎなかった元親は若くして土佐を統一。さらに、一時は、混沌としていた四国を切り従えました。が、その名前は何度も耳にしながら、戦国時代の四国の様子や元親の人物についてはほとんど知られていないのが実情ではないでしょうか。正直言って、司馬作品の中では地味な方だと思いますが、当時の四国の歴史を描いた貴重な作品と言えます。
 この物語、冒頭は斉藤利三の妹・菜々が土佐へ嫁ぐところから始まります。その後、しばしば物語は菜々の視点から語られることになるのですが、実は元親の妻となった菜々の物語でもあります。何事にも考えすぎて理に頼り、さらには細工をしすぎる元親に対して、直情型で直観的な菜々は実に対照的。この二人のかみ合わない会話がまたおもしろいところ。それでいて仲が良さそう? なところにもまた妙なおかしさがあります。
 当時精強と謳われたのは、東なら甲斐・越後、西なら土佐・薩摩。地侍の集団に過ぎない烏合の衆をそう言われるまでになる強力な兵団をつくり上げ、二十年にわたって四国を統一。前半は、やはり一地侍に過ぎないそんな元親の邁進劇が描かれていきます。しかし対照的なのは、南国土佐の明るさとはかけ離れた人物像。数日間も沈思していたり、時に自己嫌悪、時に自画自賛。さらには策を弄するあざとさ。みずからに "俺は悪人か" と言わしめているほど。が、一方でおもしろいのは、そんな元親の腹黒さが小気味いい、という菜々。彼女もまた変わった傑人であったのでしょうか。
 元親の四国統一の偉業は、しかし信長の統一事業とは相容れないものでした。やがて衝突寸前となる信長と元親。圧倒的な戦力差に滅亡を覚悟するに至ります。が、ここで本能寺の変が起こります。九死に一生、と言ってもよいこの事件。のはずですが、ここで土佐の田舎ぶりが招く中央への疎さが暴露されてしまうわけです。
 後半では、秀吉への外交を怠った元親が、ついに領地を奪われ土佐一国に押し込められるという事態となります。悲劇の武将となる長男信親もこの頃成人しています。しかしこれ以降は、天下はおろか四国への野望すら捨て去った感がある元親。そのわびしい姿が目立ちます。物語では、元親の人となりについては語りつくしている印象があります。前述したような多重人格的な人物でもあったのかもしれません。が他方、その実力についてはいたって冷静に分析しています。 "中央に生まれておれば" "俺は天下を狙えた" と言う元親。しかしその軍略は中央の智将には全く通用しないものだったのです。良くも悪くも、四国に生まれたからこそ全国に名を馳せることができたのであり、中央と海を隔てた四国だからこそ生き延びられたのである、と考えられるかもしれません。
 物語は最後まで描かれます。菜々の死、元親の死。全く事情が分からないうちにみずから土佐へ嫁いだ菜々。もはや俗事に興味が尽きた晩年の元親。波乱万丈ともいえる二人の半生。しかし、領地を失い、子を失い、夢を失い、これから先希望が生まれることのない晩年は一体何を思って過ごしていたのか。そのわびしさに思いが至ると、人の一生の不思議さを思わずにはいられません。
 土佐はその後徳川家康の臣・山内一豊が領することになるわけですが、これは「功名が辻」の後半で描かれています。一方では元親死の後、長曾我部氏が辿った運命が悲劇的なものであることは有名な話。むしろ、牢人に落ち、大阪の陣で非業の死を遂げる四男・盛親の話の方が、この物語よりも通りが良いのではないでしょうか。中央の風が読みきれずに貧乏くじを引くことになった元親、関が原の際、訳も分からないうちに石田光成に与して土佐を失った盛親。もはや当時の土佐という土地柄のせいというしかないのかもしれません。が、歴史のめぐり合わせというのでしょうか。元親のまいた種は三百年もの間生き続け、ついに幕末に花開いて明治維新の一翼を担うまでになるわけです。

・・・ 関連作品 ・・・
 長曾我部家は後に関が原で没落するわけですが、その跡を継いだのが山内一豊。その土佐での治世は決してスムーズではなかったようで、それは「功名が辻」の終盤に語られています。

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