Index

HOME > 小説TOP > 読書録

Information


最後の将軍

(さいごのしょうぐん)

著者 : 司馬遼太郎
発行 : 文春文庫
あらすじ ...
 弘化四年、水戸にいた徳川慶喜が江戸水戸藩邸の父・斉昭に呼ばれ出府する。要件は御三卿の一つ、一橋家を継ぐようにとの将軍の命であった。この時慶喜十一歳。父斉昭の慶喜への期待は大きく、将軍になる資格のない水戸家よりは将軍を継ぐ資格を持つ一橋家に入ることは絶好の機会でもあった。
 その英才ぶりは広く知れ渡り始め、十二代将軍家慶も慶喜の才気に期待するようになる。家慶の世継家定は病弱の上に精神薄弱でもあった。やがて家慶の、慶喜を将軍にすることを暗に示す発言が明らかとなる。が、慶喜は将軍職に興味はないようであった。さまざまな習い事に手をつけては、いずれもたちまちに習得してしまう芸達者ぶりだった。
 しかし嘉永六年、その家慶が病死。慶喜を将軍にという正式な遺言はなかった。あとを継いだのは十三代将軍家定。折しもペリーが浦賀に来航。幕府を恫喝し、開国を要求している時だった。激動の時代がはじまり、攘夷論が沸騰。憂国を救えるのは英才ほとばしる慶喜以外にないという議論が起こり始める。その中心は、越前福井藩主・松平慶永をはじめとする四賢候たちだった。この時期、水戸家の暗躍も目立ち始める。
 一方、幕府と大奥は大の慶喜嫌いであった。家定もそう教え込まれ、将軍には紀州家の慶福が有力となる。さらに慶喜擁立を進めていた老中筆頭・阿部正弘が急死。入れ替わるように安政五年、彦根藩主・井伊直弼が大老となると強引に慶福擁立を推し進める。同年家定が没するも井伊はこれを公表せず専横を振るい始める。全国の憂国活動家を次々と断罪。水戸斉昭や松平慶永は謹慎。慶喜にも登城停止の処分が下される。幕府滅亡のきっかけとなる安政の大獄の始まりであった ・・・。
コメント ...
 徳川(一橋)慶喜が一体どんな人物だったのか。それは、おそらくは幕末最大の関心事の一つであり、同時に慶喜の行動の経緯は謎でもあります。本作は、その慶喜の実像に迫ります。家康の再来とまで謳われた慶喜ですが、作中には、「どの課目も世間の秀才なみのことはできたがそれ以上ではなかった」と、作者の解釈が記されています。さらに、「教授されることが苦手で自得する才に長けていた」とも言い、天下を狙うような大将というよりは、委細万能の参謀や官吏タイプではなかったかということを暗に示しています。
 が、最後には、慶喜は江戸を懐かしむ人々の感傷の中に ・・・、と言うように、著者の人物に対する想い入れもあります。歴史に対する冷静な分析とともに、人物への愛着と感傷が垣間見えるつくりは、まさに司馬流作品の醍醐味。主人公が評価が分かれる人物であるだけに、そんな筆者の独特の見解も汲んでいきたい物語だと思います。
 慶喜は水戸家に生まれました。が、将軍を継ぐ資格はないとされています。将軍を継ぐのは第一に尾張家、第二に紀州家。吉宗の代にはさらに御三卿の制度が生まれ、水戸家は、徳川家といってもほとんどよそ者の見方をされていたようです。代々天皇を崇めてきた姿勢も影響したのでしょう。
 しかしここに天下に野望を秘めた男が登場します。水戸藩主斉昭で、我が子のうち、特に慶喜の英気に期待をかけ、偶然ならも一橋家へ送り込むことに成功。さらに将軍擁立運動を高めてゆくのです。が、その野望は井伊直弼や水戸家嫌いの大奥によって撃ち破られます。一方この間、慶喜は多芸振りを発揮。まかないや髪結いまでしたと伝えられていますので、尋常な主君ではありません。そして慶喜の不思議さは、まったく天下に野望がなかったと言われていることです。物語でも、慶喜が、半ば無理やり将軍職を押し付けられる様子が描かれています。
 その後半では、歴史のクライマックスの一つ、大政奉還も描かれます。これをもって、幕府打倒に加担していた坂本竜馬に「同志」と呼ばせることになります。が、その後の鳥羽・伏見の戦いで、慶喜はとんでもない挙に出ます。戦闘中の兵士を後に残し、しかも彼らの大将である。松平容保と松平定敬を供にして江戸へ逃げてしまうのです。この点、水戸家の朝廷好きの家風が影響したのかもしれません。あるいは勝った者が朝廷を動かすことにもなったかもしれません。歴史上最大の分かれ目の一つではないでしょうか。長州の軍略家、大村益次郎(村田良庵)ですら、この時、負ける、と思ったと言いますから、慶喜の決断が日本の歴史に与えた影響は極めて大きいものかもしれません。
 慶喜を形容するに、「百才あって一誠なし」、とよく言われます。英邁であるがゆえに物事が見えすぎてしまう。つい人間の感情の動きを見落としてしまう。他から見れば、命を預けるほどの信頼は置けない。慶喜の不幸な性格と呼べます。結局貴族なのだ、との著者の言葉がよみがえります。家康の再来とまで呼ばれた慶喜。激動の時代でなければ、みずからの多芸ぶりを発揮して平穏で暖かな人生を送っていたかもしれません。





www.sasaraan.net

book review

(c) morijoh