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関ヶ原

(せきがはら)

著者 : 司馬遼太郎
発行 : 新潮文庫(全三巻)
あらすじ ...
 慶長三年夏。病の重くなった太閤・豊臣秀吉の心残りはわが子・秀頼の行末のみであった。七月十五日、秀頼の傳役である大納言・前田利家邸に百数十諸侯が参集。秀頼に忠誠を尽くす目的の誓紙が取り交わされる。しかもその宛名は秀吉ではなく、大老の利家と徳川家康であった。が、この時家康の心に浮かんだのは、勝負は戦場ではなく寿命であったということだった。
 一月後の八月十八日、秀吉が息を引き取る。行年六十三。秀吉の死は朝鮮出兵中の折でもあり、隠されて密葬される。この時、秀吉の側近・石田三成はすでに家康の野望を見抜いていた。諸侯も自己の利害で動くであろうことも予測していた。そして、豊臣家を守れるのは自分しかいない、と、この日から家康との戦いを決意する。
 しかし朝鮮から帰陣した黒田如水、浅野長政、加藤清正らは三成の讒言で苦い経験をしており、三成への憎悪が尋常でなかった。早速三成と悶着を始める。これを涼しい顔で横目に見ていたのが家康とその謀臣・本多正信である。家康は、三成への憎悪を巧みに利用し、秀吉の正妻・北政所にも取り入り、秀吉子飼いの大名たちを次々と篭絡。さらに、秀吉の遺言を公然と無視し、伊達政宗や福島正則らの家との縁談を進め、みずからの勢力を着々と拡げていく。
 そんな中、三成が恃みにしてた前田利家が病死する。六十二歳。慶長四年閏三月のことだった。しかし利家は乱あることを予測し、長子・利長と次男・利政に対抗策を遺言していた。しかしこの遺言は家康に漏れ、前田家の軍略は発する前に潰されてしまう。
 その頃、反三成派の七将、加藤清正、福島正則、黒田長政らは大阪三成屋敷の襲撃を目論んでいた。抑え役の利家はもういない。一方の三成は、会津百二十万石・上杉景勝の参謀・直江兼続と密会していた。景勝が会津で兵を挙げて家康をおびき寄せ、すかさず三成が大阪城に入城するというもの。三成はついに挙兵を決意したのだった ・・・。
コメント ...
 日本史の一大転機となった関が原の戦いを描いた人間群像劇。歴史の経緯とともに、関ヶ原に関わった武将たちの背景と行動を一人づつ、しかも克明に描いています。さらに、時に島左近を冷静な語り部に仕立て、石田三成の人間像に迫っているのが興味深いところ。なぜ家康が勝ち、三成が敗れたのか。関ヶ原の合戦は壮大なドラマであるとともに歴史上の謎でもあります。そんな関ヶ原の辻褄についても独特の歴史観が示されています。
 物語は長い導入部を経て、関ヶ原の二年前、慶長三年から始まります。この年豊臣秀吉が病死。天下の意思決定は二人の大老、前田利家と徳川家康に委ねられます。が、律儀で通ってきたはずの家康は、秀吉が亡くなった直後からその遺言を破り、みずからの勢力を拡大し始めます。これに対抗する三成。折悪しく、恃みとしてきた前田大老もほどなく病死。しかも個人名を挙げて秀吉に讒言をするという三成の悪癖が祟り、秀吉子飼いの武将たちから激しい憎悪を受けることになってしまいます。しかし一方では家康打倒の策を着々と進め、ついに上杉景勝が会津で挙兵。家康が討伐軍を東上させる間、すかさず三成も挙兵。後に関ヶ原で両軍は激突することになります。
 最初、物語として始まり、徐々に歴史書的な装いに変わっていくのは司馬良太郎作品の小説としての欠点と言えるでしょうか。序盤、初芽という少女を登場させ、あるいは源蔵という諜者を登場させ、クローズアップさせながらも、中盤以降の出番はほとんどありません。その分やや中途半端なのですが、歴史描写の力強さと冷静な分析力がそれを上回り、司馬作品は幅広い層で大きな支持を受けることになります。
 作中興味深い点は多々あり、特に謎とされていたのは、七将が石田屋敷を襲い、三成が家康の屋敷に逃げ込んだ事件。家康はなぜか三成を擁護し、護衛までつけて佐和山城へと送り届けています。これを家康の謀略の恐ろしさと結び付けているのが、いわゆる司馬感というものでしょうか。
 三成の人間についてもかなり描きこまれています。三成の世界観が、現実に根ざしているというより、「べき論」でできあがっている、と語られています。豊臣一門であれば味方であるべき、敵は城攻めをしてくるべき、それらが現実認識にすりかわっていく三成の思考の欠陥に思いを至らせています。が、ために、三成は外交を怠り人心掌握に失敗して大会戦に敗れる結果となるわけです。
 関ヶ原は西軍が先に布陣。東軍を覆い包むような格好となります。圧倒的な西軍有利の陣形。が、桃配山・家康本陣の背後に、南宮山の毛利・吉川は動かず。すでに家康へ不戦の約定を交わしていたのです。さらに西国最強の薩摩・島津軍も三成の指揮を嫌い在陣のまま。薩摩と並んで強兵を誇る土佐は六千もの大軍を率いていながら結局戦場に最も遠い栗原山に布陣して戦わず。結局八万とも十万とも言われる西軍のうち、まともに戦ったのは三成軍、宇喜多秀家軍、小西行長軍、大谷吉継軍その他三分の一以下であったと言われます。
 一方、家康は秀吉子飼いの黒田長政を早くから味方につけ、これを突破口に福島正則らを次々と篭絡。三成挙兵直後の野州小山の軍議を乗り切り、本来敵となってもおかしくない加藤清正、細川忠興らを味方につけます。物語は、家康の謀略の細かさを、その人物像とともに実に細やかに描き切っています。こうした人間を中心とした背景は、歴史解釈上非常に貴重なのではないでしょうか。
 作品自体は関ヶ原を軸として目指しながら、各人物に次々と焦点を当てており、半ばオムニバス風でもあります。おそらくはこの一冊を熟読すれば相当な関が原通となることは確かでしょう。


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