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武田信玄

(たけだしんげん)

著者 : 新田次郎
発行 : 文春文庫(全四巻)
あらすじ ...
 戦国時代、甲斐。国主・武田信虎は嫡男・晴信を嫌い、次男・信繁を盲愛していた。一方、領国経営は苛烈を極め、方々の領民たちからは怨嗟の声が上がる。そして天文十年。甲斐滅亡の危機を感じた晴信は、重臣・板垣信方、弟・信繁と謀り、小県出兵に乗じて父・信虎を駿河に追放。人心も掌握し、跡を継ぐことに成功するのだった。
 そんな中、愛妾・おここが正妻・三条氏に毒殺される事件が起こる。晴信と三条の仲は決して良くはなかったが、三条は嫉妬からおここを殺めてしまったのだ。しかし晴信は傷心を抑えて次の戦争の準備をしなければならなかった。晴信は米が豊富に穫れる諏訪に目をつけていた。甲斐での慢性的な米不足を補うため、諏訪進出は急務だ。天文十一年、晴信は調略で諏訪頼重を降伏させ、捕虜として躑躅が崎に連れ帰ることに成功。しかし頼重は謀反の企てが治まらず、やむなく切腹をさせることになる。この事件を機に、晴信は諏訪への進出を遂げるのだった。
 その最中でも晴信の好色は変わらない。晴信は禰津元直の才娘・里美を側室にし、さらに諏訪頼重の遺娘・湖衣姫をも側室に加えてしまう。里美は如才ないが、湖衣姫と三条氏とは確執が早くも生まれていた。一方、領内の黒川に大量の金が埋蔵していることが判明。軍資金確保に向けて早速金山開発に着手する。
 その後着々と地盤を固める。天文十四年には高遠を攻め、天文十六年には甲州法度を定めさらなる人望を集めた。そしてこの年、笠原清繁が謀反。兵五百と共に志賀城に立てこもる。さらに援軍として上州軍三千が浅間山麓・小田井原に陣を張る。晴信は上州軍の挟み撃ちに成功。しかし圧勝を前に、敵兵の皆殺しを命ずる。さらに志賀城でも城兵をことごとく討ち取り、残された女は金山の遊女に、子供は奴隷に送ってしまう。が、この処置は佐久の人々に、晴信への憎しみを生む結果となる ・・・。
コメント ...
 戦国時代の名将・武田信玄(晴信)の生涯を描いた大河小説。父・信虎を追放して甲斐国主としての実権を掌握した天文十年(1541)から、最大のライバル・上杉謙信と争った川中島合戦を経、そして覇業半ばにして倒れた天正元年(1573)までの三十年余りを物語にしています。物語では史実への冷静なアプローチを試みつつ、独自の創作によって娯楽化を図ってもいて、歴史ドラマとして十分に堪能できるつくりだと思います。NHK大河ドラマの原作になったこともあり、信玄を描いた小説の中では、最もスタンダードと呼べるかもしれません。
 晴信(信玄)の生まれは大永元年(1521)。甲斐守護・武田信虎が父ですが、信虎はなぜか晴信を疎み次男・信繁を盲愛したとか。身の危険を感じてか、重臣たちの後押しもあって、天文十年晴信は父・信虎を駿河に追放。さしたる粛清もなく跡を継ぎます。信虎の苛烈さ・残酷さは真偽は定かではありませんが、弟・信繁すら晴信を支持した経緯を見ると、少なくとも信虎には人望はなかったようです。
 その後諏訪攻略を足がかりに信濃に進出。小説では、甲斐では量が穫れない米の確保が目的であったと推測しています。しかし慢心から上田原で村上義清に敗れ、板垣信方と甘利虎泰という二大柱石を失います。若年の晴信は、晩年の石橋を叩いて渡る式の合戦ではなく、むしろ父・信虎に似た苛烈さをもって合戦に当たることもしばしばでした。かつては冒険的な性格であったとも見れますが、晴信の優れたところは、それを省みて後に活かしたということでしょう。
 やがて小笠原長時を塩尻峠で破ったものの、砥石城攻略戦で再び村上義清に大敗します。これが有名な「砥石崩れ」。上田原の合戦は結局傷み分けとなりましたが、この戦で晴信は生涯唯一と言っていい大敗を喫することになります。しかしすぐに盛り返して天文二十二年、ついに村上義清の本城・葛尾城を攻略。信濃の敗将たちは越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り、以来、信濃の覇権をめぐって両者は川中島で激突することになるわけです。
 長尾景虎との戦いは結局決着は着きませんでした。まともにぶつかったのは永禄四年(1561)の川中島合戦。この戦で信玄は弟・信繁はじめ多くの名将を失うことになります。軍師として有名な山本勘助(実在したかどうかは不明)もその一人。ただし、勘助は作品では間諜として描かれています。戦術的には拮抗した両者ですが、戦略的には信玄が勝利しました。最後には信濃全土を手中にしているからです。信玄が家督を継いでから実に二十年。信玄の人生の半分は信濃制服に費やされたと言えるでしょうか。
 この後、上州や駿河に着々と手を伸ばしますが、この間織田信長が台頭。あせった信玄は元亀三年(1572)、ついに西上の軍を起こすことになります。翌天正元年(1573)、三河野田城攻撃の際に病が重くなった、というのが通説のようです。徳川軍の流れ弾に当たったとの説も。物語では、若い頃から労咳持ちであったとの仮説を採って進めています。物語の終盤は多分に悲壮感の漂う雰囲気となりました。
 信玄を描いた資料のうち、最も有名なのは「甲陽軍鑑」でしょう。しかし作中でも言及している通り、これは誤りが多いことでも有名です。著者はこれらを丁寧に分析して、さらに他の資料と比較しながら史実に迫ろうとしています。が、一方、桶狭間の戦に晴信が介入していた、といった創作も試みられています。ちょっとアンバランスなスタンスかもしれませんが、こうした娯楽性の醸成が作品を読みやすくしていることも事実だと思います。
 信玄の人物像、これも大いに興味のあるところです。諏訪頼重や大井貞隆を暗殺同然にして葬るような大謀略家、一方では法整備や土木事業を成功させて民に慕われる賢君、さらには討ち取った敵将の娘までも側室にする好色漢。そんな信玄の人物像の表裏と変遷が本作では克明に描写されています。信玄の真の姿に迫る物語としても十分な醍醐味ではないでしょうか。





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