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天と地と

(てんとちと)

著者 : 海音寺潮五郎
発行 : 文春文庫(全三巻)
あらすじ ...
 六十を越えた越後守護代・長尾為景(ためかげ)が四度目の妻・袈裟を娶ります。一年を待たずして出産。為景の四男は虎千代と名付けられます。しかし為景は、妊娠が早かったことから、ひそかに自分の子ではないと思い込み、どうしても虎千代をかわいがることができなくなります。虎千代もそんな父親に反抗的となっていきます。
 四年後、虎千代の行末を案じながら袈裟は亡くなります。虎千代は一層陰気で強情に。が、翌年新たに付けられた傳役、百姓上がりの女傑・松江にだけはよく懐くようになります。松江も虎千代の将才を見抜き愛情を注ぎます。が、成長するにしたがい男の傳役・金津新兵衛が着任。新兵衛の誠実さが分かってくるにつれ、虎千代は新兵衛にも信頼を寄せるようになっていきます。
 やがて虎千代七歳。わが子を嫌う為景は虎千代を出家させるべく天室和尚に預けますが、和尚は虎千代の才を惜しみ、為景に返します。しかし為景は、元服させて喜平二景虎と改めさせると、今度は養子に出すことを画策。景虎がこれを拒むと勘当放逐。新兵衛はつてを辿って本庄慶秀(よしひで)のもとに身を寄せます。
 そして六年後、為景は越中で討死。晴景が後を継ぎますが、酒色にふけって政事をおろそかにしたため、やがて各地で叛乱の火の手が上がってしまいます。ついには側近・昭田常陸介にまで裏切られ本拠・春日山城を命からがら落去。この際次男・景康と三男・景房が討死してしまいます。景虎も駆けつけ初陣を果たしますが無念のうちに城を脱出するしかありませんでした。
 その後、智将・宇佐美定行を頼り修行を積むことに。定行も景虎の器量に感服。景虎を盛り立てていくことを決意します。そして景虎十五歳。叛乱を鎮めるため、宇佐美定行と本庄慶秀の後ろ盾を得て、ついに栃尾城で義兵を挙げることになります ・・・。
コメント ...
 川中島をはじめとする武田信玄との戦いで有名な上杉謙信(長尾景虎、のち政虎)ですが、その生涯の話となると、ほとんど耳にすることはありません。多くは信玄の話であり、信玄側から描かれた謙信像です。謙信、となると、女性説という珍説までまことしやかに語られたこともあるほど。本作はその謙信の前半生にも焦点を当てた伝記的作品。謙信の人間像に迫った本作は、きわめて貴重と言えるのではないでしょうか。
 その本書のもう一方の特徴。まずは読み物としてのおもしろさを挙げねばなりません。小難しい歴史的な背景はそこそこに、謙信の幼少時代からの冒険譚を実に情感豊かに描いているのです。この点、謙信という人間があまりにも活き活きと描かれていて、スタイルだけを見れば伝記に近いと言えるかも知れません。
 個人的に興味深かったのは、沈着冷静のイメージがある謙信がひどいかんしゃくもちであったことで、これは事実らしく、このことで武将たちから疎まれたり、時には離反を招いたことにもあったようです。一方で、謙信の性格を如実に現しているシーンとして、謙信と乃美(なみ)のラブストーリーがあります。こちらは創作のようですが、恋に不器用な二人の物語が、多分に本作を情緒的なものにしていることは確かです。
  さて、物語はほぼ三部に分かれています。景虎誕生から旗挙げに至るまで。旗挙げから越後統一まで。そして信玄との決戦。しかし物語は最後までを語りません。謙信の半生32年間を綴ったところで物語は終わります。今まで煮え湯を飲まされてきた信玄に肉薄したことへの痛快感。その反面、生涯唯一の恋が破れたことへの寂寥感で幕を閉じることになるのです。が、謙信の生涯はさらに十余年を残します。この間にも、"敵に塩を送る" 話や柴田勝家を子供のようにあしらったという戦ぶりなど、数々の伝説が残っています。しかし最後まで語りつくす切なさを思えば、謙信最盛期、川中島合戦のクライマックス "きつつきの戦法 vs くるまがかりの陣法" で幕を引くのは、むしろ粋な終わり方と言えるかもしれません。
 人間・謙信としての魅力を本書は十分に描き切っていると思うのですが、一方で、戦国武将としての謙信には致命的な欠陥を指摘する声も後を絶ちません。例えば領土欲のない謙信の下では、武将たちは自分の領土を広げることはできません。利に敏い戦国武将が相次いで信玄の調略に応じていったのも無理からぬことではなかったでしょうか。戦国乱世で、無欲であるということはそのまま滅亡を意味しました。ただ謙信には神懸かり的な軍才があったため、一時的に越後は結束できたのです。
 また、子がないという不安感は配下の武将のみならず、領民にとっても大きな不安であったはずです。事実、謙信の没後、越後では家督を巡る大乱となり一気に国力は衰えてしまうのです。小豪族乱立という越後の歴史・風土だけではない、謙信の刹那的な思想・姿勢が、国の乱れに少なからず影響したことは否めません。
 そして、その思想の中に、権威への妄信があります。度重なる関東への出兵は関東管領の責務を果たすという目的もあったようで、関東公方の復活さえ目論んでいたことには大いに信憑性があります。また、本来、関東公方の支配地で、京の権力の及ばないはずの越後から京へ遠征したことからも足利幕府の権威回復を真剣に願っていた節がうかがわれます。つまりは極めて保守的な人物であったことが分かるのですが、もはや権威による支配は崩壊していたのですから、それは虚しい理想と言わねばなりません。謙信がさらに延命し、京に上れば、あるいは織田信長を滅ぼすことができたかもしれませんが、権威崩壊という天下の趨勢を覆すことができたかというと、はなはだ疑問ではあります。
 それはともかく、物語最後の場面、川中島の合戦は全部で五度行われました。さながら源平の合戦(長尾は平氏、武田は源氏。もっとも景虎は上杉の名跡を継いで藤原氏に変わりましたが)のようでもあり、日本合戦史上最大のエピソードのひとつといえます。結局最後まで決着が着くことはなかったのですが、本書はその様子が克明に描かれていて大変興味深く読むことができます。そしてまた、宇佐美定行、鬼小島弥太郎といった名だたる武将たちの物語もまた魅力のひとつ。彼ら以外にも、個性豊かな登場人物が活き活きとした姿で蘇ってきます。多くの人は、一読すればたちまち本書の魅力にとりつかれてしまうのではないでしょうか。

・・・ 関連作品 ・・・
 謙信のライバルといえば信玄。数ある信玄ものですが、メジャーなのは新田次郎の「武田信玄」と津本陽の「武田信玄」。それぞれに違った信玄像を楽しむことができます。

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